とび太と自然食料理店について

先を越された
のだが、そのイベント会場でお知らせしていた次なるイベント

私らの青春時代パルコというのはおしゃれの代名詞だったんだけど、まあ大津だからいいか。ここで終わってもよいのだがこれだけではあんまりなので、この夏休みに行った自然食レストランについて書く。パルコとは関係ありません。

そこは地の利がよくて流行っていた。駅に直結のデパートの最上階レストラン街で、他にはチェーンのパスタとかとんかつ程度でめぼしいレストランは入っていない。夜景もまあまあでカップルも、家族連れも、バイキングなので量を食べたい人も満足できた。何より普通においしかったので、自然食といってもちょっと怪しい方向を志向していることは置いてある絵本や直営農場のちらしなどで見当がつくのだが、許容範囲だった。いつ行っても混んでいた。

あれ?と思い始めたのは、徐々にバイキングにごく普通のメニューが減ってきて、スティックと称するただ切っただけの野菜とか、豆腐とかおから関係のメニューが目立ち始めたころからだった。この地方都市に食事に来る人が全くの都市部の住人であるとは考えにくい。家に、あるいは実家に畑がある、野菜の作り方も旬の野菜の味も知っている人、スーパーの野菜より味が濃いからといって単に切っただけの野菜を有難がるとはあまり思えない人々がメインの客層であろう地方都市で、どんどん「こだわりの野菜」の色合いを強めていくのはどうなんだろう。勿論、一定のそういうのが大好きな人はいるし、普通においしけりゃいんだよ、野菜がいっぱい食べられるのは有難いしさあと思いつつ、誘われた時はいいけど自分から行くのはちょっとね、ぐらいまでその店の「自然食」傾向がうっとうしくなってきていた今年の夏、

久々にその店で待ち合わせたらガラガラだった。平日だからなー、こんなもん?と納得しようとしたとき、店員が「当店ではただいま「いただきます運動」をしております。お願いできますか」と言う。へ?ととっさに反応できずにいると続けて「合掌してください」とかぶせる。同行者には子どもがいてその子らが喜んでやっているので、居合わせた大人も全員合掌するはめになった。「いただきます」と店員がいうのに続いて「いただきまーす」とそれだけなのだが、なんだよ、このカルトな店は。二度と行かんぞ。

私は合掌することにもいただきますにも抵抗はなく、むしろ子どもの頃からの習慣で、ご飯の前になると自然に合掌していただきますをしてから食べる癖がついているのだが、いい大人に対して「いただきます運動」をやり合掌をさせ、店員の声に唱和して「いただきます」をするなんてことをやっているレストランには今後金輪際行かない。

そして「おいしけりゃいんだよ」と思っていた料理は、動物性たんぱく質が煮干の揚げたのとなんとか鶏の揚げたの、無添加ハムとソーセージぐらいになっており、バイキングといってもほとんど全部野菜にまで「進化」していた。いろいろあったデザートメニューは黒糖かんてんとグレープフルーツ、おからケーキと白玉ぜんざいというラインナップ。おからにもぜんざいにも恨みはなくむしろ好きなのだが、うんざりの一言であった。

あれだけ満員だったレストランが空いている理由がわかった気がした。「自然食志向」ぐらいの付加価値にとどめておけば、好きな人にもPRする一方で、無関係に好きなものを選んで食べる客を満足させることもできた。直営農場は最初から怪しい雰囲気をただよわせているのだが、押し付けてこない限り、提供される野菜がおいしい限りにおいては問題にすることもなかっただろう。しかしいただきます運動で大人を教育してやろうと待ち構えているレストランというのは何を勘違いしているのかとしか思えない。選択肢が減って残念ではあるが次はない。

本題に戻ろう。上記のリンク先でも本名が紹介されているこの少年は40歳になるという。ダサくても問題ないし特に日の目を見る必要もない。撮影会にはさすがに私も行かないと思う。これでいい。おしゃれでなくていいしおしゃれな人には見向きもされないのが滋賀県の安心感でそれを飛び出し坊やと平和堂が体現している。故郷はよいところだと思う。