うさぎ追いしかの山(追記あり)

農村か地方都市にしか住んだことがない。首都圏に住む予定は今後もない。生まれ育った田舎と青年期の多くを過ごした田舎と近年に1年だけ暮らした田舎はこんな感じのところだった。

現金書留は顔パスでもらう。本人確認という手続きはない。わかりきったことを確認する必要はない。しかし隣村の役場には、馴れ合いだという批判を恐れて自分の弟でも本人確認している管理職がいた。事務がそこだけ滞っていた。島に出張に行くとレンタカーを借りるのに免許証はいらなかった。どこへも逃げる場所はない。

役場は時間になると閉まる。しかし用事がある人は裏口から入っていけばよく、もしも担当者がたまたま帰ってしまっていたら、適当にその辺の人に用件を伝えておけばよい。確定申告を始め、各種の書類は書けなくても構わない。役場の人がなんとかしてくれる。現に農村部の高齢者には字が全く書けない人も珍しくはない。

コミュニティバスは勿論どこでも止まってくれるし家の前までつけてくれる。1時間前に予約しろというのは実際には5分前でもよい。たまたま観光客が乗ると路線を変更して一番わかりやすい所まで送ってあげる。

たけのこや山菜は誰かがどこからともなく玄関の前に勝手に置いて行ってくれるもの。コメを作っていないうちには米ぬかをつけたりゆがいてから置いていく。芋は肥料袋かダンボールでもらうもの。地方によるがたとえば関西であれば、柿とか青紫蘇などは勝手にその辺になっていたり生えている。

子どもは家の中を走り回り放題で夜中にピアノの練習をしてもドラムを叩いても隣には聞こえない。田舎にはプライバシーはないというが、実は隣の人が家の中で何をしているのかは全くわからない。

引越しは軽トラでみんなで運ぶので引越し屋に頼む必要がない、というか引越し屋がない。自転車屋はあるがパンクの修理などは各家でやる。自転車の部品はもとより、ダンプとかユンボとかがある家も多々あるので雪の季節には行政や業者の手が廻らない細道などは近所の兄ちゃんとかが早朝から道を空けてくれる。

蛍とか紅葉とかは珍しくもなんともないので誰も見ていない。桜の季節には老人会の花見を除いて人出はなく桜だけが人知れず咲いて散る。

駐車場は基本タダである。そんなもんに金を取ったら罰が当たる。

大体一般的なことはこんな感じだが、祭りや宗教行事は地方によってさまざまで祭りの日には知らない人のうちに上がりこんで飲み放題だったり結婚式にはキャラメルが配られるとか地域の人が全員お経が暗唱できるとか挙げていけばきりがない。しかしあんまり詳しく書くと地域や集落まで特定されかねない。ただ、農村や漁村の祭りは今も本当に五穀豊穣や大漁を願いあるいは感謝するものであって、縁日やら出店や花火がメインではない。子どもにとっては都会に出ていた親戚のおじさんやおばさんが帰ってくるのも楽しみである。迎える「長男の嫁」とかはたまったものではない、というようなことも勿論今も続いている。

今までの人生の2/3を農村で過ごして、田舎の人の田舎に対する呪詛はよくわかる。私も田舎に帰らねばならない日が来るとしたら一日なりとも先延ばしにしたい。ただ、私は田舎を捨てきれない田舎者なので田舎を疎み田舎にうんざりしながらも、このまま年を重ねるならばやがては山あいの集落に帰ってそこで死ぬことになる。そして実の所、自分にはサルやイノシシのいる山あいの村が一番似つかわしいのではないかと思っている。

1月26日追記:こんなことを書いた翌日の今日、老親の様子を見に実家に帰ったところ急に吹雪になり、見る間に積もっていくのでまさに行政の除雪が追いつかない状況になっていた。隣の町まで灯油を買いに出ていて、自分の集落に車が入れるか危ぶみながら帰ったところ上に書いたような自家用ユンボのおっちゃんがちょうど実家の目の前をガガガガと空けていてくれる所だった。ちなみにこのおっちゃんは九州から出稼ぎに来て日本海側の雪の多い所に居ついた人で雪なんか知らずに育ったのに雪国で暮らすことになってから重機の運転を始めて、今は会社を定年になって農業だけをしている。そしてこんな雪の日には若い者顔負けの機動力でまるで軽自動車か何かのようにユンボを動かしているのだった。老人世帯も多い集落でどれだけ助かっているかわからない。うちの前を過ぎて隣のじいちゃん宅に向かうユンボの後ろ姿に合掌せずにはいられなかった。