中学校女子生徒会長をめぐる私的回想

中学の女子生徒会長1割だけ…背景調査へ 小学校は均等:朝日新聞デジタル

 

1970年代前半の田舎町。

小学校の1年生、男女一人ずつで学級委員長は「学級委員長」と書いた名札をもらったんですね。それが、どの学年も男の子の方だけ学級委員長で、女の子の方は勝手に「副委員長」になってた。なんで女子が勝手に副委員長になるんだよっと小学校1年生なりに思ったの、今も覚えています。

 

1980年代前半

中学校で生徒会選挙がありました。本命はとある女子で、もうその子しかない状況だった。その子は、少なくともうちの田舎では、女子が生徒会長とかあり得ないと思われているような当時で、小学校時代には児童会長をしており、もうそれだけで別枠というか凄い子だった。しかし一応生徒会長選挙というのをやらにゃいかんので、対抗馬として先生から打診されました。そんなの誰も出たくないわけですよ。無投票でええやん。自民党が圧勝することがわかってるとこの、供託金没収されそうななんとか党ぐらいの勝率だし。

しかし小学校での「副委員長」体験から8年後の私はどうなっていたか。「会長は男の子がしたらええやん。」と、実に小学校中学校の8年間ですっかりジェンダーロールを内面化して、自ら会長選への出馬は断り、副会長ならってことでしぶしぶ対抗馬としての立候補を受けたのでした。落ちたけど。

 

1990年代後半

私は出身地とは別の過疎の田舎町で町職員をしていました。そこの町は広くて、生徒数が全校で10人とかの中学校がいくつか点在していました。どこの学校でも当たり前のように女子は生徒会長もやっていたし、小学校の児童会長もやっていた。私はもう大人であり、ああ時代は変わった、今の自分であればたとえ心の中だけでさえも「なんで女子が生徒会長」なんてことは思わないであろう、と思いつつ、役場の女子だけ制服というのは差別だからやめろと一人で戦ったりしていた。誰も共闘してくれる人はいなかったけれど、もう既にフェミニストとしての自我も、男性社会との絶え間ない戦いを通じて獲得していた。それでもしかし、女子の生徒会長を心のどこかで「10人しか生徒がいない」ことによる特殊事情と考えていたところがあったと思う。こういう田舎の方が、差別なんかしていられないほど人材が足りないから平等が進むことはある、ということは認識しつつはあった。

 

2010年代後半

さらに20年後の今。このニュースを聞いて最初に思ったのは「小学校だけでも均等になったんか!」という驚きだった。

 

後日談

中学の時、生徒会長をしていた友人はその後なんとなく普通の人になってしまった。この人を含め当時バリバリ活躍していた女性の友人たちにはまたバッシングもひどくて、そのせいかどうか傍から見れば穏やかな人生を選択した人が多い。もちろん「傍から見れば」穏やかな人生が実際どうなのかは知らないし、そんなのは個人の勝手であってどんな人生を送ろうが大きなお世話である。ただ私自身、名誉男性枠で生きることが多かった人生を振り返っても、勝手に周りの思惑を忖度してできたかもしれないことを投げ捨てていったこともあろうかと邪推するのである。フェミニストとしては、この人よりもおそらく自分のほうが尖鋭化したであろう。それでも面倒がって戦わなくなってしまった。それもそれで仕方のないところもあるんだけれど。

 

抑圧されている側が戦わねばならないという理不尽はいつまでもなくならない。