作曲家の紹介に70年代をおもう

今更「ひと夏の経験」を持ち出すのか。
都倉氏は、山口百恵さんの「ひと夏の経験」やピンク・レディーの「ペッパー警部」など数多くのヒット曲を手掛けた 
 山口百恵が「蒼い時」で「ひと夏の経験」が流行った時に、マスコミにどういうことをされたか書いている。当時高校生だった彼女は「ひと夏の経験」で「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」という歌詞を歌わせられて、芸能マスコミに「女の子のいちばん大切なものってなんですか」と執拗に質問された。
 
 今だったら、意味がわからないかもしれない。「処女」という答えが期待されているのである。「処女」が「女の子の一番大切なもの」だと、当時「教育」されていたのだから。70年代、当時の推理小説には「妻が処女でなかったから殺した」なんていくらもあったんだから。当時高校生だった彼女はこの問いに「まごころ」で押し通したということを記している。「愛する人に捧げるため守ってきた」「汚れてもいい泣いてもいい」「誰でも一度だけ経験する」「誘惑の甘い罠」というような歌詞で、今日現在のwikipediaを見ると「年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる」とあった。おぞましい、と現代の人は思うのではないか。これがもてはやされたのだ。そして山口百恵はそれに一人で耐えていた。高校生にそれがどんなに苛酷なことだったか。
 
 作曲家である都倉氏は、たまたま当時の世相としてはなんの問題もなかった曲を作曲し、結果として人気歌手山口百恵を生み出した一人であろうことをとやかくいうつもりはない。この人事に文句を言おうというのではなく、40年の時を経て都倉氏を紹介するのに、JASRAC会長なんかもやった人なのに「ひと夏の経験」を持ち出す時事は、あの頃の「百恵ちゃん」が飛ぶ鳥落とす勢いのアイドルだったぐらいの認識なんだろうと思うのみである。それは一面の事実ではあろうが、同時に今とは比較にならないほどアイドルを踏みつけ、セクハラにさらし、「青い性」を売り物にしてきた時代であったことを記しておきたい。