80〜90年代にそんなベストセラーはなかった

追記
id:nofrillsさんのブクマからツイッターを拝見しまして、下記に引用するとおりツイッターの方ははっきりしたご批判と思いますのでお答えを追記しておきます。

しかし、「私は知らない」+「統計資料にない」=「なかった」は、ずいぶん乱暴だ。出版の世界には、数字に残らない「影響力」ってのがあるんだよね。新聞や雑誌のコラムをやたらと書いてたりとかいうのもあるし、出版社の編集部の中での「類書」としての存在価値が高いとかいうのもある。

言及先の記事には私は「rosechild マークス、クライン氏の本は売れたがベストセラーの「中心」とは笑止。(以下略)」とブクマしているとおり、「私は知らない」のではなくある程度売れていたことは認めています。下記に「当時を知る人がほとんど覚えていない」と書いたのが誤解を招いたのだと思いますが、これは私の身近な人に聞いてみたので、自分が聞いた数人を「当時を知る人がほとんど」と表現したのは確かに「乱暴」と言われても仕方のないところです。しかし統計資料の方は、ベストセラーは統計で判断できると考えますので、統計資料に上がっていないものをベストセラーに「なかった」と表現するのは特に乱暴とは思いませんので訂正などは致しません。そして出版業界に影響力があったことや、別のツイートでの英国好きの方の間で話題になっていたということがご指摘のとおりであるとして『80年代、90年代にそんな本がベストセラーの中心とか爆発的に売れていたような事実はなかった』という私の主張もこのままで問題ないと考えます。出版業界への影響はご指摘のご本人によるものを含め二番煎じ等がいっぱい出たことも私も存じていますが、それでもなおマークス氏やクライン氏の本が「書店の棚を席巻していた」だの「爆発的に売れていた」だのは認められないというのが私の主張です。ということで、ご指摘の事実関係には特に反論はありませんが自分の主張も問題ないと思っています。あと、マークス氏の本について(言及先が)いうならせめて「80年代」は取るべきと思っています。私の文章に乱暴なところがあるのは今後も気をつけたいと思います。

::::::::::::::::追記ここまで


前提になっている事実関係がめちゃくちゃな話には反論しておく必要がある。

欧米人男性と結婚した日本人女性」が、日本の若者を批判したがるのはなぜか
今の日本は、「日本人はこんなに素晴らしい」と礼賛するTV番組、本であふれているが、90年代には「日本のここがダメ!」という本が爆発的に売れていた、という話とその背景

当時を知るものにはヨタ話で片付けていいような話だが、話題になっている。私もついブクマしてしまった。

先日、当コラムで、「今の日本は、『日本人はこんなに素晴らしい』と礼賛するTV番組、本であふれているが、80〜90年代にはむしろ『日本のここがダメ!』という本が爆発的に売れていた」という話をしました。当時のベストセラーといえば、マークス寿子さんやクライン孝子さんなど、「欧米人男性と結婚した日本人女性」による“日本批判”が中心。

80年代のベストセラーといえば、一番大きいのは「窓際のトットちゃん」、あとは鈴木健二の「気配りのすすめ」、後半は村上春樹ノルウェイの森」それから吉本ばななシドニィ・シェルダン、90年代ぐらいにさくらももこ辺りがぱっと思いつくところですが、この辺を見ると、ああ、「サラダ記念日」がありましたね。ノストラダムスだの宜保愛子、宗教関係、ダイエット本、タレント本なんかは手を変え品を変えいろいろ出ている。今は亡き渡辺淳一がバイブルだったオッサンもいました。このぐらい売れていればね、「爆発的に売れていた」と言ってもいいと思います。村上春樹さくらももこも確かに爆発的に売れてましたよ。みんな覚えてる。でも当時のベストセラーがマークス寿子?クライン孝子?80年代から90年代にせめて青少年、あるいは大人だった、今40代以降の人にマークス氏やクライン氏の本を買ったことがあるかどうか聞いてみてください。めったにいないと思う、というのは実際は「爆発的に売れて」なんかいなかったから。上にリンクした以外にもベストセラーのリストはネットの上にも色々ありますが、千葉敦子、森瑤子を含めて上記のブログに言及された中でそんなリストに名前が挙がっている人は一人もいません。そもそも「当時のベストセラー」でさえない書籍がベストセラーの中心であったというような事実はありません。マークス氏とクライン氏は、いわゆる保守的なそういう論調の本を書いていた、そういうのが好きな向きには多少は売れていたであろう、その程度です。ベストセラーに明確な基準は、年などを区切ってきっちり数字を上げない限り、ないので多少なりとも売れていたなら勝手にそう呼ぶことを止めることはできませんが、常識的に考えてどんなリストにも上がってこない、当時を知る人がほとんど覚えていないような本は爆発的に売れていたとは言えません。

千葉敦子についていえば最も話題になった著作は当時も今もたぶんこれです。

乳ガンなんかに敗けられない (文春文庫)

乳ガンなんかに敗けられない (文春文庫)

インフォームドコンセントなんて概念は日本には全く浸透していなかった時代、がんは今よりももっと恐れられ、死に至る病として患者には隠され、本人には告知しないのが主流だった時代にこれが書かれた衝撃はちょっと今の人には想像がつかないのではないかと思われます。例えばタレントや政治家ががんを公表するのも今とは比較にならない大事件だった。そして文庫には収録されていませんが、彼女はジャーナリストとして正確な記述を残す意味でも自分の乳房の写真を公開しました。これがまた、日本社会にはゲスな関心も含めて大きな話題を呼んだ。さらに乳房を切除したあとのパートナーとの会話の収録なども、彼女がたとえば私の親(2015年現在70代後半)とほとんど変わらない年齢であることを思えば、画期的な仕事だった。インフォームドコンセントが日本に浸透する以前に、彼女はがん患者の意識改革に先鞭をつけていました。しかしいかんせん、がん患者の意識改革というようなものは当事者か近親者でなければ他人事です。話題になったとはいえ、健康な若い人のベストセラーになった訳ではなかった。そして千葉敦子は、がん患者に対すると同様かそれ以上の情熱をもって若い女性たちに甘えずに社会に対する責任を果たせと叱咤激励したフェミニストでもあり、何よりも死ぬ直前まで死に至る自分を取材対象としてレポートし続けるジャーナリストだった。私は死の直前まで朝日ジャーナルに連載された
「死への準備」日記 (文春文庫)

「死への準備」日記 (文春文庫)

「死への準備日記」をリアルタイムで読んでいました。若い人は知らない人も多いであろうし、決してベストセラー作家ではないけれども、千葉敦子の業績はここでは紹介しきれない評論やエッセイなどを含めてジャーナリストとして高く評価できるものです。断じて欧米の人と結婚してその名前で日本を批判する適当な言説を唱えていた人ではありません。結婚していない点については上記のサイトでも触れられていますが、つまりはそもそもタイトルに合っていない。千葉氏の著作の中には、確かに「日本人」に批判的な日本人論もあり、それについて本全体をちゃんと読んで個別に具体的に批判するなら結構なことだけれども

海外経験という“箔”があれば、女性が強い主張をしてもスッと受け入れられる。90年代くらいまでの日本には、そういう風潮があったのではないでしょうか。

とか、他人の業績を「海外経験という“箔”」などと十把ひとからげに論じていては批判にもならない。ちなみに上記に挙げた80年代の本物のベストセラーの中で、鈴木健二「気配りのすすめ」については千葉敦子はその著作「寄りかかっては生きられない」で厳しく批判しています。鈴木氏の著作が女性に対して男性に寄りかかって生きるような生き方を勧めるものだったからです。「そういう風潮があったから」です。森瑤子については省略する。いずれにしても、個人的にはこの四人を同列に論じるなど言語道断なのだが、それは私の感想だから措く。80年代、90年代にそんな本がベストセラーの中心とか爆発的に売れていたような事実はなかったから。それだけを指摘しておきたい。