「おーい、お茶」に心が煮えた日々

仮に、今そういう差別が見られない、考え付きもしないという人が多数派だとしたら、それはかつてあったその抑圧に対して多くの人々が少しでも一歩でもと、圧力と屈辱の中で戦い続けて来た結果である。

私の子供のころはむろん、社会に出たころの企業社会においても「おーい、お茶」と呼びつける権限をもっているのは男だけであり、それに「はーい」と応じるのは女だけだった。もちろん、世の中は少しずつ進んでいたから、都会や田舎でも私の知らないところにそうではないところも出てきてはいただろう。しかし、私の知る限り、家族、親戚、近所、職場、その他すべてのコミュニティにおいて「そこに女性がいるところで」自らお茶を淹れる男性は皆無であり、男性を呼びつけてお茶を淹れさせる女性も皆無だった。お茶を淹れる仕事は最初から女性に割り振られていた。

この30年で大きな変化があったのは事実であろう。私の周りにも今はお茶を淹れることに男も女もないのが当然、のような認識を共有している人々は多くいる。ほかの形の差別は残っていてもまずは若い人に関しては、業界によっては、あるいは地域によってはなどの留保はつけても「お茶くみ差別」は解消されているとみなしていいかもしれない。それは企業に女性管理職が増えてきたのとの関連もあるだろうが、私の若いころは女性は部長でも(管理職自体めったにいなかったが)お茶を淹れさせられ、男性は新入社員でも飲んでいればよかったのである。それを誰も不思議に思わなかった、と能天気なおじさんはのたまうが冗談ではない。私たちは歯ぎしりしてきた。そして戦ってきた。自分より後に入った男性が平然とお茶を飲んでいる横でお茶をだし、お菓子も用意し、片づけて洗いながらいつまでもこのままではいないと、少しずつ声を上げてきたから変わってきたのである。何も言わなかったら何も変わらない。しかし、その戦いの過程は当事者以外にはあっというまに忘れ去られる。どれほど苦い戦いを経てわずかなものを勝ち取ったとしてもそれは「もとからなかった」ことにされる。

自分が味わっていない苦難をどれほどリアルに想像できるかといえば私もわからない。これは自分自身がつぶさに体験してきたことだから語れる。なかったことにされるほど今ほんとうに「ない」のであれば、それは慶賀すべきことかもしれない。しかし、あれはまごうかたなき差別の象徴であり、それを体現している状況は全国各地に山のようにあってだからこそああいうCMが存在したのであると、私は生きている限り証言し続けなくてはならないと思う。