迷宮に誘われる楽しみ:西村義樹・野矢茂樹「言語学の教室」

凄くよかったですよ、帯が。ペンギンのイラストがね、ちょっとうつむき加減に考えているところ。そしてこのペンギンは章の扉にいちいち出てきては、ボソっとなんか訳のわからんことをつぶやいているのです。「太郎が花子に話しかけてきた」とか。イラストは野矢茂樹野矢茂樹西村義樹という二人のビッグネームの対談形式で(野矢はともかく西村義樹なんて知らんぞ、という方もいらっしゃるかと思いますが今知ってください)認知言語学者の西村が野矢にこの耳慣れない学問の入門を説くという形になっている。ペンギンのイラストからもわかるとおり(これはペンギンでなくてはならない。雀とかカラスではなくてペンギンなのには認知言語学的な意味がある。)著者の楽しみ、ほら、見てみろ、面白いやないか認知言語学!という心の弾みが伝わってくる良書。「哲学者と学ぶ認知言語学」とサブタイトルがあるが、これを「言語学の教室」と称するのは認知以外の言語学の人には怒られるかも知れないが言うたもん勝ちである。

6章立ての1章は「認知言語学の誕生」ということで、盛りだくさんの内容を新書1冊に収めるのに導入部にはあまりページを割けないという事情があっても、言語学というマイナー学問の悲しさはやっぱり言語学って何?から始めざるを得ない。無理難題をいえば、認知言語学以前にソシュールチョムスキーが出てきて提示したもの、その感動にはもうちょっと詳しく触れて欲しい。学問のとっかかりの部分でその学問を切り拓いた人々について、なんでこの人らがこんなに評価されてるの?なにが凄いの?という点を追体験できるかどうかはその学問に興味を持つかどうかの分かれ目になる。勿論触れてあるし要を得た説明ではあるのだが、ここは詳しくしてしすぎることはない。しかしそれはともかく言語学概論ではなくて認知言語学へのいざないなのだからとりあえず読者としてはのってみよう、という気にさせられる。認知言語学の開拓者レイコフやラネカーが出てきて1章で手の内にはまる感じ。

だけど、日本語を学んでいる外国人が「雨に降られた」のような受動態を習うと、これを応用して「昨日財布に落ちられました」などと言ってしまうことがあるそうなんです。(p.5)

帯にも引いてある例だがこれがなんでいけないのか。もし知り合いの外国人からこんな説明を求められる羽目に陥ったなら、それは認知言語学入門の扉をくぐったことになる。

野矢の言葉を借りれば私は既に西村と同様に(いや勿論、偉い先生と一緒にしちゃいかんのだけど)「認知言語学に汚染されている(p.46)」ので西村の言説はすっと頭に入ってくるのだが、野矢の発言にはところどころ「え?」と思うところがある。しょっぱなから「それまでの言語学の主流は生成文法で(p.4)」と言われるとなんか違うと思うし次のようなところも私には違和感が残るところ。

他方、認知文法では、「知らない人が私に話しかけました」は文法的に正しくないとされるわけです。「色のない緑色の観念が猛然と眠る」も、もちろん認知文法では文法的に不適格だと考えますよね。(p.58)

「知らない人が〜」は西村が提示した例で、確かに「知らない人が私に話しかけました」はふつう「話しかけてきました」になるだろうという点において日本語としては不自然である。西村は「不自然」と言っているのであって「文法的に正しくない」まで言っていないのだけれど、野矢は認知文法でいうところの文法では「正しくない」「不適格」まで言っている。不自然から不適格、正しくないまでの距離はどのぐらいあるのかわからないが、この辺のことばの選び方はもうちょっと慎重であってもいいように思う。いや、野矢の主張としてはこれで合っているのであって言葉の選び方の問題ではないのだろうが何が不適格か、不適格としてそれは本当にここでいう「文法」の「ことばの組み合わせ方」の問題なのかというあたりはちょっと保留してもうちょっと考えたい。「色のない緑色の云々」はチョムスキーの有名なことばだけど、これ私は別に「もちろん認知文法では文法的に不適格」とは思わない。私の認識が違っている可能性は、但し、いつも高い。認知文法といっても一枚岩ではなく諸説紛々で、ある先生が認めてもある先生は認めないなんてことは当然あるのは心しておきたいところ。

しかし無知な生徒のふりしていろいろ先生に質問する野矢が無知どころかほとんど専門家なのはどうしても漏れ出してくるところで、その突っ込みは的確で鋭い。「誰がそれをプロトタイプだと考えるのですか?(p.128)(原文では斜体でなく傍点で強調してある)」というあたりなど色々とうならされた。

冒頭に挙げた「財布に落ちられた」に始まる以降の数々の具体例については言及するのを控えたい。とりあえず手近な日本語を片端から分析したくなってきたら、それは著者達の術中にはめられたのである。後半野矢の哲学についても言及があってそのあたりへ導かれていくのも楽しい。ちょっと二人の先生達の頭がよすぎる気がしないでもないが、ことばを学ぶ楽しみをまた確認させてくれる一冊だった。

余談:西村義樹先生ってこんなに若かったのか...(ちょっとショック)