借用語を日本語風に話すことは必ずしも間違っているわけではない

日本人が間違った覚え方をする「得意ではない」言葉についておよびこれに類する話が出てくるたびに思うこと、についてのメモ

1)ある言語を学ぶことと、その言語から語彙を別の言語に取り込むことは違う

 ある言語を学ぶ時には母語話者の発音や文法がお手本になる。その言語を尊重するなら、ネイティブの発音を尊重し、できる限り近い音を出そうと努力するのも自然なことだろう。
 しかし、語彙を別の言語に借用し取り込む時には、ネイティブそっくりであることよりも、取り込んだ先の話者が聞き取れること、話せることが優先される。取り込む先の言語の音の決まりに従って自然に、あるいは人為的に、元の言語の音とはちょっと違った形で認識されるのはごく当たり前のことで、別に「間違った」ことではない。

2)ある言語には「音」のルールがある

 ある言語にはその言語の音の組み立て方のルールがある。たとえば日本語で促音「っ」として認識される。「そっと」の「っ」の正体は、「と」のtの音をほんの少し長く発音しているわけだが「発音」といってもtは無声子音なので、音は出ていなくて少し歯茎のうしろに舌をつけている時間が長い、その一瞬の「間」を日本語話者は「っ」と認識するわけである。
 こんな風にちょっと長く発音して「そと」と「そっと」を区別するというやり方は、原則として無声子音の時にだけできて、ベッドみたいにdとかそういう有声子音では発音できないんだよ、というのがそもそも日本語にルールとしてある。だから bed を日本語に取り込んで発音すると自然にベットのようになる。もちろん bed そのものは、英語だからそもそも促音なんかなくて、母音にアクセントをつけて長目に発音すると日本語話者には促音のように聞こえる、という話でネイティブとしてはベットかベッドがしらんが「っ」って、なんじゃそれ、である。
 つまり、有声、無声というのは日本語では弁別的(そこで意味を区別する働きを持っている)だから、母語でなくてもわかりやすくて、英語ではベッドで「ド」じゃないか、「ト」とは違うんだよ!と認識しやすいわけだが、アクセントのある母音は強く長めに発音するとか、日本語の母音は5つだけど英語はもっと多いよね、とか認識しにくい違いについては、認識できないからスルーしつつ、自分らが認識しやすい点だけを取り上げてベッドが「正しい」と言っているわけである。じゃあなんでベッドって言える人もいっぱいいるんだよ、というならば、それは日本語が外来語に合わせてルールをゆるめ始めたからである。外来語については自分のところのルールをゆるめていくのは、どの言語のルールにもよく起きる現象である。
 「元の言語のルールを優先する」か「取り込んだ先の言語のルールを優先する」かは、どちらかが「間違って」いるわけではない。元の言語を学ぶ場合は元言語を尊重するのは大切であり、しかし借用の場合は話は別であり、借用の時に真似しようとしても認識できないところは認識できないから元言語にあわせるのはしょせん不十分なものであり、しかし言語のルール自体が変化していくから柔軟に対応してよい、というあたりは、共通認識があってよいのではないか。
 促音の話は一例で、母音と子音のつながり方、単語のどの位置にどの音が現れるか、高さはどうか、強さはどうか、その他その他、ある言語、あるいは方言には皆独自の「音の」ルールがある。どの言語にも独自の文法があるのと同様である。細かいことをいえばこれらのルールも言語学用語でいうところの文法である。「間違いやすい」としたらそれには理由があるのであり、音のルールが関与している、音にも「文法」がある、ということももっと認識されてよいと思う。

3)日本語を第一言語とする人は日本人とは限らない。日本人が日本語話者とも限らない

 日本人=日本語話者とは限らないし逆も然りである。日本語を第一言語として話す人、という意味では日本語話者とか日本語母語話者というのが、まあこれらも必ずしも正確ではないしニュートラルでもないという考えもあるけれども「日本人」よりは実情に近いだろう。

4)そもそも何が「正しい」かは相対的なもの

 何が「正しい」かは相対的なものである。という話はくりかえしdlitさんのブログとかで議論になっているので繰り返さないけれど、常にそもそもに立ち返って考えることは大事だと思っている。