経済成長で少数言語が失われるって記事と論文を読んでみた

話題になっているAFPの「経済成長で少数言語が失われる、研究」という記事と(どうでもいいけどその見出しの読点は何?)その元の論文を読んでみた。

一般に外国の学術記事を読む場合、1)その元記事は学問的に妥当なのか2)現地メディアを介しているならその取り上げ方は妥当なのか3)日本語訳と要約は妥当なのかという三段階の問題がある。昨日上記のAFP日本語版にブクマをつけた時点では、私は論文自体の当否に立ち入るつもりはなく、2)と3)について、なんか書こうかなと思っていた。でも紹介のされ方もあれなんだけど実際に詳しく読んでみたら論文自体にも目に付く点があるので、論文をきっちり批判するまでの力はないのだけれど目に付いたことを書いておきたい。

まず予備知識として日本言語学会のサイトから危機言語Q&Aをリンクしておこう。危機言語の問題は少なくとも20年以上は注目されていること、グローバリゼーションの影響も指摘され続けていること、そして

もちろん言語を復興保持するかどうかは、現地コミュニティの決定によるべきです。私たちのとるべき姿勢は、当の集団の自由な決定を尊重するためにも、まずその集団の言語に押し付けられている不利な圧力を軽減するということになるのではないでしょうか。

言語学者らのおせっかいや過剰なオリエンタリズムを戒め、不当な抑圧を排し、言語については現地コミュニティが決めるという認識とともにユネスコなど多方面で様々な取り組みがなされていることが簡潔に紹介されている。世界は既に長くこの問題に取り組んでいる、しかも厳しい状況は続いているという認識を共有した上で話題になっている記事と論文を読んでみる。

AFPは勿論フランス通信社であるがフランス語は読めないので英語版はこれ。参照先のケンブリッジ大学の記事もリンクしておく。なんでケンブリッジ大が記事を出しているかといえば筆頭著者がケンブリッジだからですね。なお、この学術記事が発表されたProceedings of the Royal Society Bは生物学のジャーナルであり、この論文の著者たちは全員が生物学、生物多様性、動物、植物などの専門家である(つまり言語学の専門家ではない。私が検索した限りではBAを持っている人が一人いたのみ)。それが悪いというのではなく問題意識が「生物多様性の維持の方法論を言語の多様性維持に使えるんでないの?生物学者たちがやってみたよ」という点にありそうだと考えていいだろうということである。ともあれ方法論や結果はこれから検証されなければならないにせよ試み自体はあってよいだろう。

論文ではまず、上記の言語学会のサイトにあるような問題を紹介している。危機言語に対してグローバリゼーションや近代化が大問題だということも以前から指摘されていることも述べている。そこでこの論文の問題意識としては、言語が消滅するに際して既にリストアップされている様々な要因が危機言語の地理的な分布とどう絡んでいるのか、それからグローバリゼーションなどのインパクトについて定量的な研究などはされてないよね?というところ。彼らはこの問題に対して、IUCN(国際自然保護連合)のレッドデータの基準に準じて生物種の絶滅危惧種をランク付けるように言語の絶滅のリスクを測ろうとする。つまり、結論からいえば、このレッドデータの基準が言語の消滅のリスクを測るのに使えるよ!というのが彼らの主張である。以前からの方法を補完する形でこれも使えると思うよ、ぐらいの言い方だけど。(以下引用:we believe that the IUCN criteria and other criteria adopted in earlier schemes can be used in a complementary manner to further develop criteria for assessing language extinction risk. )レッドリストに準じて著者らが採用した基準は、「地理的に言語が使用されている範囲の小ささ」「話者の少なさ」と「話者の急激な減少」である。

ところで、たとえばユネスコでは、何をもって危機言語とし言語の生命力をどう測るか、言語を生き延びさせるためにどうすればよいのかガイドラインを示している危機言語は生物の絶滅危惧種のアナロジーでしばしば言及されるけれども、当然ながら生物ではない。それを維持していくのはあくまで人間の社会的なコミュニティだから、社会的な指標が必要であり、ガイドラインでは話者数で状況を見るのみならずそのコミュニティで子ども達がその言語を受け継いでいるか、その社会のどのような領域でその言語が使われているかなど言語ごとに異なる複雑な事情に対して総合的な対応を呼びかけている。そういう努力が重ねられても大きな流れを止めるには到っていない状況で、生物のレッドリストの基準と同様にリスクを測ってみました、というのが通用するものかどうか。この批判は当然予測できるので、彼らはレッドリストの基準に加えて世代間の言語の継承についてもとりあえず調査している。

さて、勿論彼らは世界各地の言語コミュニティに出かけていって言語調査をしたわけではない。話者数などはどこからもってきたかといえば、既に言語学者が公開しているデータを使ったのである。だから「少数言語が失われる」と問題提起しても言語学者から「知ってた」という反応しか返ってこないのは当然のことである。勿論彼らだって自分達が初めてこの危機的な状況に気づいたなんて主張してはいない。言語学者たちが既に提起している問題について、生物多様性の保持に使ってきた知識とノウハウを応用できるのではないかと提案しているのである。

それプラス、経済成長の著しいところでは画一化も進んでやばいよ、という話、これが紹介記事のタイトルにもなった彼らの発見である。しかしですね、言語の多様性をうんぬんするのにGDPを基準に経済成長を言われても、彼らも認めるとおりGDPは国単位でしか測れない。そして言語は人為的な国境に沿って分布しているものではない。たとえばパプア・ニューギニアには800を超える現地の言葉が、消滅の危機に瀕したものも多々ある訳だが、これら全部についてGDPという単一の指標を使う、あるいは広大な中国やロシア、インドあたりをGDPで判断してしまうというのは「一人当たりのGDPのレベルは言語多様性の消失と関連があることが分かった」(日本語記事より)と言われてもどうなのさといわざるを得ない。

要するに彼らは言語学者のデータを彼らの方法論にあてはめて分析してみたのである。そしたら今までの知見とあまり矛盾しない結果が出てきた。だから今まで同様に、危機言語は危機に瀕しているよという結果が出てきた、とまあそういう話でいいと思う。GDPの話のほかに、地理的な知見についてはやはり動植物と人間に同じような基準をあてはめようというのは無理だろうと私は思う。だって人間はロシアの寒いとこからアフリカの暑いとこへ移動したりもする訳だし、分布の変動は動植物よりはるかに可変性が高いだろう。根拠はないけど。しかし生物多様性の保持の知見を言語に応用すること自体はなんらかの可能性をもった提案だろうし、これが生物学のジャーナルに出てきたことで、今まで生物の多様性には関心があっても言語の多様性には興味がなかった人にこんな問題があることを認識してもらえればそれは望ましいことかもしれない。彼らが指摘するとおり、生物の多様性に比べて言語の多様性についての問題が人々に知られていないのは、言語学者も認めざるを得ないところであり、だからこそ危機言語の問題が今初めて指摘されたかのような記事が出てくるわけである。

という訳で元論文は微妙である。ただし、分析手法についての私の理解は浅いので勘違いもあろうかと思う。ご批判があれば歓迎します。そして紹介記事については、まあ適当にセンセーショナルなところを書いてみたんだね、と締めておいていいでしょうか。長くなったし。結論としては、もし消滅の危機に瀕した言語について関心をもったという方がいらしたら言語学会のサイトに出ている日本語文献に興味深いのがいっぱいありますのでお勧めしたいと思います。私も読んでないのいっぱい。

詰まるところ、長いこと私たちは危機言語の問題と取り組んできたしこれからも取り組んでいくし、たくさんの人に問題が認識されていくのはいいことだけど使えない提案は自然に却下されていくだろう、自分は自分にできることをしていこう。ということで報告終わります。長くてすみません。