言語学なんでも(あり)研究会たらゆうのがあるほんの

タイトルは「言語学なんでも(あり)研究会」とかいうのがあるらしいよ、という意味の方言です。

五十路を前に大学院に入り直し、遅れ馳せながら研究生活を始めてはや2年になる。三十代半ばで言語学に目を開かれて、しかし一度は断念した道にまた戻れたのは、幾多の学恩に恵まれた僥倖というほかない。先生たちはもとより、今は二十も年下の先輩たちに教えを仰ぎ、さらに若い学生たちと議論を重ねる日々、もうぶれないと決めた道は楽しくも険しい。

授業が好きで授業に出まくっているためによく先生に叱られた。一番大事なのは研究なのだ、優先順位を間違っているのではないかという指摘はよくわかるのだが、しかしこの世には聞いておくべき授業というものがあり、授業でしか得られない知見というものがある。とはいえ人間の時間は有限で、人生の終わりも視野に入ってきた。かちかち山のたぬきのような人生が愚かなままで終わる可能性は限りなく高い。

閑話休題
博士課程の学生になってさすがに授業は減ったのだが今度は研究会に出るようになった。そして研究会に出たら必ず飲み会にも出るという自分ルールに縛られているために、もう大変なのである。楽しくて。研究会というのはゆるいものからきついものから、めちゃくちゃマニアックなものから分野横断的なものまで、出ようと思えば星の数ほどあり、多くの場合学会なんかと違って会費などはかからず、さらに初学者にとってありがたいことには、ほとんどの研究会ではほとんど常に発表者を募集しているので、アホ研究でも発表させてもらえ、さらには専門家にボコボコにしてもらえるのである。そして他人同士がボコボコにしあっているのを眺めるというか、発表にもアホなものから凄いものまで色々あるわけだが、「それに対する突込みを見る」というのが自分ひとりでは一生かかっても得られない知見を得る得難い機会なのである。だから私は毎週のようにあちこちの研究会に、ほとんど専門でもなんでもないものまでも飛び歩いているのであって、毎週毎週飲み歩きたいから懇親会に出まくっている訳ではない。絶対違う。

ということでこれ

翌日の国立国語研究所の豪華シンポジウムに便乗しての企画ということであったのだが、マニア的にはいやなにこれ、こっちも行きたい!みたいな線を狙っている。え?みたいな研究会名称にも拾えるネタはなんでも拾おう、拾ったネタは共有しよう、誰でも来てください、そして持ち帰ってくださいみたいなメッセージが、今考えたんだけど、込められている、かもしれない。ということで、どうやって言及しようか迷ったのですが私も前座を勤めさせていただきます。dlitさんのブログにもありますが、楽しい研究会になりそうです。お気軽にご参加ください。