日本語カフェにいってきたよ

2013年7月2日追記:
dlitさんからトラックバックいただいて気づいたんですが、下記の「インフォームドコンセント→何を聞いてもええんよ診療」というのは、明らかに私が「なんぼ聞いてもええんよ診療」を聞き違えていたようです。そちらの方が語呂がよく、元の意味がよく通っていて関西弁としても耳になじみますので。失礼しました。意味はとれるのでそのままにしておきますが「なんぼ」が正解だと思います。

:::::::::::追記ここまで

大きな声では言えないんですが夕方から仕事をサボって日本語カフェにいってきました。

阪大の豊中キャンパスはこの暑さで坂を昇るのがつらい。20人弱の手ごろな人数で7〜8人が1つのテーブルを占めて、企画した学生が少しずつ発表しては参加者にテーマを投げてテーブルごとに議論するという形式。今日のテーマはカタカナ語はいけてるか。

私にとってはカタカナ語よりいけてるとかいけてないとかいう言葉を使うほうが抵抗がある(他人が使ってるのはなんとも思わない。自分が使わないということ)。でも若い人ばっかりだったけどみんなそんなにガンガン使いたいという人はいなくて、それなりの意義は認めながらも必要以上に使うのはどうかみたいな、なんとなく常識的な話に落ち着いてた。

興味深かったのは、ファッション雑誌のように読者層を絞った、わからない奴はついてこなくていいから!みたいな雑誌でも仲間内のカタカナ語を乱用すると新しくその雑誌に興味をもった人が入っていけなくて参入障壁になるという話とか(もともとそういう雑誌を頭からシャットアウトしている年代の人からは出てこない話だと思った)、とある雑誌で英語のvは全部ヴで表記してる(インタヴューとか)などのちょっとしたカルチャーショック的なものが一つ。

それからこれは金水先生がおっしゃってた京都弁の例ですが
インフォームドコンセント→何を聞いてもええんよ診療(追記↑を参照ください)
セカンドオピニオン→よそで聞いてもええんよ診療
という言い換えが秀逸で、高齢者を身近にもっている身としては是非これは普及させていただきたいところだった。

金水先生は最初と最後に挨拶されただけで仕切りは全部学生がやっていて、短い時間に盛りだくさんの内容を、まあまあ上手に仕切っていました。なんとなく卒論演習を公開でやってる感はあったけど、現に学生たちがやってるんだから自然体でよかったのかもしれない。

一種のフィールドワークなんですね。学生にも参加者にとっても。この一晩で目に見える成果をなどと焦ってはいけない。参加者にとっては自分の日本語なり言語を考えることに対するモチベーションが高まったならまずまず成功で、そこまでいかずとも楽しくやれたなら上出来というところか。

しかし○○カフェの宿命なんだろうけど、最初から興味がある人しか来ていない。阪大の学生がたぶんほとんどで社会人は私以外にいたのかどうか。そこで客層を見て、ただワイワイやるだけじゃなくてもうちょっと突っ込んだ議論をしてもいいんじゃないかと切り替えたりできたらいいと思うのは欲張りすぎか。

学会でもなく講演会でもないので、言語学者が教えを垂れるみたいには全くなっていなくて、学生が主体的にやっていて素晴らしいのですが、金水先生のこともたぶん学生たちは「うちの先生」としか思ってないと思うのだけど、でも専門家間ではこういうことが問題になってますとか何かのコメントを先生からしていただく時間も、金水先生のネームバリューに引かれて不純な動機で参加した私としてはできれば欲しかったのだけど、それは趣旨が違うのは私の方だろう。

個人的には私、しゃべりすぎ。時と場所によっては借りてきた猫よりおとなしいのに、ついついついつい半可通ぶりを発揮できるのが嬉しくてはしゃいでしまった。おばちゃんは仕方がない。

帰り道、電車の中の広告が玉姫殿の系列で、関西圏で玉姫殿が残っているのは一つだけであとは全部マリアージュとベルクラシックだかに変わっていた。そりゃ今の子は玉姫殿よりはマリアージュで結婚したいだろうなあ。

阪大は不便でめちゃくちゃ遠いので厳しいのだけれど、来週に途中からでもあと一回ぐらい顔を出せたらいいなと思う。

追記:dlitさんの記事トラックバックを送ろうとしたら言及してなきゃだめと言われたので追記