SJLL Vol.2読んだよ

こういうところを読んで、言語や言語学に興味も関心もあるけど、どうなんだろ、ガチ言語学の人たちが書いた論考とか、雑文にしても素人が読んでわかるのかなあ、面白いんだろうか、とお悩みの皆さん(もしいたら)、そんな時こそ半可通の私が解説しましょう。大丈夫、全然読めます。私、コミケとか全く知らなくて同人誌に関する知識はネットの存在しなかった25年前で止まっていたのですが、一読、古きよき同人誌の時代にタイムスリップしました。私が知らないだけでこういう文化はずっと生きていたのかと感慨深い。言語と言語学が好きな人々が好き勝手なことを言う、専門的な議論もあるけど予備知識がなくても読めるエッセイも多々あり、随所に学生はこういうやり方は真似するなとか正確な引用は行われないとかWikipediaを引いておいてこのやり方はよろしくないとか、「論文ちゃうしなんでもあり」感満載で肩肘張らずに楽しく読める、ということで間違いなく素人も半可通もターゲットに入っています。言語と言語に関する問題が好きでわしにも一言いわせろ、いや聞くだけでもいい、こそっと読むだけでもいい人なら誰でもウェルカムなんちゃうかな。付録の私費シールはせっかくなので表紙にべったり貼っておきました。

一つ一つの論考に触れたいところだけれど、それぞれは短いので下手に紹介すると未読の読者の楽しみを奪ってしまいかねないので自粛。こちらにタイトルは晒されているのでそれを見るだけでも同人誌のごった煮感が味わえるかと思われます。

しかしその中で一つ、ガチだと噂の高かったid:killhiguchiさんの論考にのみ、中身に立ち入ってちょっとだけ論評まではいかない感想を。これは予備知識なしで気軽に読めるエッセイではないが、極めて明晰でわかりやすい。と初めて(ブログなどで今まで専門的な議論についていけなかったりしたことを念頭に)思えた。「喚体」というのは日本語学をやっていない人には耳慣れない言葉だけど『概念のみの形式を投げ出して感動と希望の2系統の用法を出すメカニズム』というのはつまり、「フロ!」は「これは風呂です」ではなくて「ワシが今から風呂に入るから用意しろ、いや用意してください、いや用意して入らせていただきます」とかなんとか、希望を表す文として成立しているという、そういう話だな。そいで『現代日本語の複語尾のうち、終止法独自の用法を持つもの』というのは、たとえばシヨウ形というやつを見ると「彼がそこにいようといまいと」という時の、終止法ではない形(いようと)では推量という意味はないけど『今彼はそこにいよう』は推量になる、これが終止法独自の用法というやつだ。と、この調子で全部耳慣れないことばを自分のわかるように考えて、例文が少ないので(つまりこの種の文を読みなれている人であれば○○形といわれただけで適切な例文がすぐ出るはずなのだが私は出ない。言語学徒としては勉強不足)例文を考えて、それをこのエントリで全部やっていたらあさっての昼ごろまではかかってしまうので、書きかけておいてなんですが、やっぱりこのガチ論考について何か言うのは稿を改めさせていただきます。このエントリの趣旨はSJLL Vol.2が素人でもわかりやすかったよーと言いたかったのであって、このkillhiguchiさんの論考は「専門的な議論もあるけどね」の方に属するので、素人だけど読んでみようかなと思ったかもしれない方はびびらないでください。おでんでも好きな具だけ食べればよいのです。

というわけで、まだ元とってない。明日以降阪急電車で表に私費シール貼った裏に試験問題の載った雑誌を読んでいるのは私ですので石を投げないでください。(いずれ続きを書きますが第一稿終わり)