それはピジンでもクレオールでもない

追記:補足のエントリを上げました。
追記2:(2012/7/15)訳を微修正しました。
追記3:(2015/12/9)私は素人ですといういいわけを削除しました。

ピジン言語やクレオール言語、あるいはクレオール化といった言葉は、世間一般に広く知られている訳ではない。ただし言語学業界では、たとえば大学院入試の語彙説明の選択肢として出てくるような、大学の一般教養で言語学概論を取ればまず触れられる基礎知識である。いちいち定義したり注釈したりする必要はない。その道の専門家によっては定義が分かれることもあるけれども、基本的なところはおおむね専門家間での意見の一致がある。専門用語とは(分野によっては意見の一致具合に差があるかもしれないが)そういうものだろう。

ピジンクレオールをわかりやすく説明しているサイトはないかなと探してみると、ピジンクレオール言語業界の大御所であるニューイングランド大学(オーストラリア)のJeff Siegel教授が監修か編集をしているサイトに行き当たった。英語なんであれなんですが、さすがに簡潔でわかりやすい。ちょっと訳してみる。以下、強調は私です。

Pidgin:
A pidgin is a new language which develops in situations where speakers of different languages need to communicate but don't share a common language. The vocabulary of a pidgin comes mainly from one particular language (called the 'lexifier'). An early 'pre-pidgin' is quite restricted in use and variable in structure. But the later 'stable pidgin' develops its own grammatical rules which are quite different from those of the lexifier.

Once a stable pidgin has emerged, it is generally learned as a second language and used for communication among people who speak different languages. Examples are Nigerian Pidgin and Bislama (spoken in Vanuatu).

ピジン
ピジンは、異なる言語の話者が、話す必要があるのに共通の言語を持っていないという状況で発達する新しい言語である。ピジンの語彙は主に一つの特定の言語(レキシファイアーと呼ばれる)から来る。初期の「プレ・ピジン」は用途がきわめて限られており構造も変わりやすいが、後に「安定したピジン」なれば独自の文法的なルールが発達し、そのルールは(語彙が由来する)レキシファイアーの言語のルールとは大きく異なっている。

いったん安定したピジンが現れれば、通常は第二言語として習得され、異なった言語を話す話者の間でのコミュニケーションに使われる。例としてはナイジェリアン・ピジンやビスラマ(バヌアツで話されている)がある。

Creole:
When children start learning a pidgin as their first language and it becomes the mother tongue of a community, it is called a creole. Like a pidgin, a creole is a distinct language which has taken most of its vocabulary from another language, the lexifier, but has its own unique grammatical rules. Unlike a pidgin, however, a creole is not restricted in use, and is like any other language in its full range of functions. Examples are Gullah, Jamaican Creole and Hawai`i Creole English.

Note that the words 'pidgin' and 'creole' are technical terms used by linguists, and not necessarily by speakers of the language. For example, speakers of Jamaican Creole call their language 'Patwa' (from patois) and speakers of Hawai`i Creole English call theirs 'Pidgin.'

子どもたちがピジン第一言語として習得し始めると、その言語はコミュニティー母語になり、その言語がコミュニティー母語になるとクレオールと呼ばれる。ピジンと同様にクレオールも語彙の大部分をレキシファイアーと呼ばれる別の言語から持って来た、しかし独自の文法的なルールを持つ、(レキシファイアーとは)別の言語である。ただし、クレオールピジンと違って用途が限られておらず、他の言語と同様に完全な機能を備えている。例としてはガラ語、ジャマイカクレオール、ハワイクレオールイングリッシュなどがある。

ピジンクレオール言語学者の専門用語であって、必ずしもその言語の話者がそう呼んでいるのではないことに留意せよ。たとえばジャマイカクレオールの話者は彼らの言語をパトワ(patoisから)と呼び、ハワイクレオールイングリッシュの話者はその言語をピジンと呼んでいる。

言語学の歴史においても、ピジンクレオールが決して崩れた英語やフランス語ではなく独立した言語だと認められるようになったのは比較的近年の出来事である。しかしここ数十年のこの分野の発展は著しく、今ではここでSiegel教授が説明していることはほぼ言語学の常識といってよいだろう。しかるに専門家の中には、ご自身の専門分野とはいささか離れたところにいながら、突然常識を著しく逸脱して独自の定義を持ち出し一般向けに書かれた本で解説してしまう人がいるのである。

killhiguchiさんのエントリに下記の引用があり、その引用があまりに無茶苦茶なことを言っているので、本当にこんなばかなことを言っているのかどうか確認するためだけに金谷武洋『英語にも主語はなかった』を借りてきてしまった。問題の170ページを確認すると確かに言っている。念のため、私はkillhiguchiさんの引用が不正確かもしれないと思ったのではない。正確な引用でも孫引きで批判する訳にはいかないから原典を確かめたのである。

クレオール化とは、言語と言語が長期間にわたって接触した場合に生じる言語現象のひとつである。とりわけその一方が経済的政治的に優位にある場合、劣勢の言語が大きく変化する。変化した言語には、単にコミュニケーションの手段として使われるピジン(語源はまさに英語のビジネス)と、劣勢の言語話者の母語になるクレオールがある。(p.170)」

問題の箇所を読んでさらに驚いたのは、この前に

フランス語と英語の混ざり合った「乱世」に、松本克己のいう「クレオール化」が進んだのだろう。(同上)

とあって、その後に先の引用が続いており、つなげて読むとまるでこんな定義をしたのが松本克己みたいに読めることだった。しかしこの独創的な定義はどう考えても金谷のオリジナルであろう。松本の論文はまだ確認できていないが、この本で金谷が「クレオール化とは」と説明している以上、この定義は金谷のものとして話を進める。

上述のSiegelの定義と金谷の定義を比べてみていただきたい。
クレオール化とは、言語と言語が長期間にわたって接触した場合に生じる言語現象』違う。異なる言語が接触した時に、どちらかやあるいは両方の言語が変化するという話ではない。クレオール化とは一般に誰にとっても第一言語ではなかった「混合語」であるピジンがコミュニティー母語となり第一言語化することである。
『とりわけその一方が経済的政治的に優位にある場合、劣勢の言語が大きく変化する』全然違う。ピジンは変化した劣勢の言語ではない。大体、ピジンイングリッシュやピジンチャイニーズといわれることからもわかるとおり、「レキシファイアー」として機能するのは通常は支配者の、「優勢」のほうの言語である。そしてSiegelがいうようにそこで新しく生み出された言語は、語彙は主に「優勢」の言語からもってきていても独自の文法構造を持った新しい言語である。『変化した言語には、単にコミュニケーションの手段として使われるピジン(中略)と、劣勢の言語話者の母語になるクレオールがある。』だから変化した言語じゃないし、変化した言語の下位分類としてピジンクレオールがあるのでもない。大体、劣勢の言語話者の母語になるってなんだよ。劣勢の言語話者だったら劣勢の言語が母語(とは限らないけどそうであることが多い:2015/12/9挿入)じゃん。そうじゃなくて、新しい言語が母語なんだってば。

金谷が新しい定義を持ち出しても別に構わないけれども、現在Siegelが書いているようなことが世界の言語学の常識として通用している以上、金谷のようなことを大学院入試で書いたら落ちて人生が変わる可能性がある。金谷の本で勉強するほうが悪いといえなくもないが、何よりも一般向けの本で、業界では広く認知されていることばの意味を自分にだけしか通用しない定義で、早い話が適当にむちゃくちゃを書いてはいけないだろう。

地雷を踏み抜かれたので一気にここまで書いてしまったが、この後この本を読むかどうかはまだ決めていない。専門的な批判はリンク先のkillhiguchiさんのブログやここを読んでいただいている方にはおなじみと思いますがdlitさんのブログをご参照ください。私は言語学に関しては、こっちはあきらめてないのだがあっちには見切られているストーカーみたいなもんで、きっちり専門家間の議論をフォローできていません。できてないけど素人だ素人だと言い訳ばかりするのも嫌なので、書けることは書くのだ。そしてさらしておけば、見過ごせないようなへんなことを書いていれば、金谷が私の地雷を踏み抜いたように、誰かがひっかかって批判してくれるかもしれない。

「傍観している場合ではない」なんてついブクマしてしまった割にはこんなことしか書けないのだけれど、また少し修行を続けるために、できたら「日本語カフェ」にも顔を出したいと思っています。すっかり支離滅裂になってしまった。おしまい。

引用文献
金谷武洋(2004)『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』講談社選書メチエ