ほんな滋賀県あろかいね

少し前に話題になった「出身地鑑定!!方言チャート」、いろんな地方出身の方のコメントなども含めてなかなか楽しませていただきました。個人的には全く当たりませんでしたが。これについて事例の一つになればということで、自分の場合を詳しく記録しておきたいと思います。

前提として
1.私の出身地は滋賀県ということになるが、私の方言は滋賀県のマジョリティではない。一般論でいうと言語圏と県境が一致しておらず、各論をいえば滋賀県は大きく分けて琵琶湖の東西南北で方言が違っており、特徴的な方言は田舎の湖北、湖西、湖東と湖南では三重県との県境などに広く残っているが、人口でみる多数派は圧倒的に湖南の中心地の大津、草津あたりに偏在している。この辺は京阪神方面との交流が盛んでそちらに言葉も近い。従って生粋の滋賀方言を話す私が「きいたことがない」「言う」「言わない」と言っても、それが滋賀県のマジョリティを代表するものではない。
2.言語は変遷するものであり人口は流動するものである以上、がんばって精度を上げても調査そのものに限界があるのは当然。
という2点は最初に確認しておきたい。

では出発。
第1問『翌日、家に不在の時、「明日、家におらん」と言うことがありますか?』

これ、前にトライアル版みたいなのが話題になった時には「〜をしない」を「やらん」と言うかどうかになっていた。それから比べれば格段に質問がよくなったと思う。つまり「やらん」というのは関西のマジョリティ(大阪市あたりを想定して)でもそんな言い方をする人は私は見たことがないが「家におらん」は関西あるいは西日本の言葉としてはそこそこありそうな気がする。で、私の答えは「いいえ」である。犬とか猫が家にいないなら「明日家におらん」といえるが、自分が家にいない場合は「おらん」ではなくて「いん」を使う。他の人がいない場合は相手によって言い方が変わり、それはまた別の方言になる。まあここで関西を外れてもいずれ戻って来られるであろうということで「いいえ」に進む。

第2問『授業で先生にあてられる時、「先生にかけられる」と言うことがありますか?』

いいえ。これは「はい」と答えると北陸方面に進むぽい。

第3問『「そんなことしん」または「せん」と言うことがありますか?』

はい。「せん」の方を使う。ここで関西方面に戻れたか。

第4問『この座り方を「ひざまづき」と言うことがありますか?』

いいえ。これは「はい」と答えると沖縄へ行く。

第5問『この乗り物を「ケッタ」と言うことがありますか?』

いいえ。これは「はい」と答えると東海方面へ行く。滋賀県では岐阜県との県境辺りでは使っているかもわからない。

第6問『机を運ぶ時、「机をつる」と言うことがありますか?』

いいえ。ケッタに「いいえ」と答えてもここで「はい」というとやっぱり東海地方に誘導される。

第7問『お土産をもらった時、「お土産あたった」と言うことがありますか?』
はい。
これが第一関門である。ここで「はい」と答えると北陸から関東甲信越さらには東北まで誘導されて二度と西日本に戻れない。しかし「お土産あたった」は子どもの頃からずっと言っているし、私の観察の限りでは少なくとも湖北、湖東地方では広く使われている。しかしここで「はい」と答えたらもう滋賀県に戻るルートはないので涙を呑んで「いいえ」に進む。最初に何回やっても滋賀県にたどりつけなかったのはこれが1つ目の原因だった。しかし子どもの頃からずうっと言い続けている言葉を「言うことがありません」というのは非常に抵抗感がある。

第8問『ランドセルを「背負う」ことを「ランドセルをかるう」または「からう」と言うことがありますか?』

いいえ。これは九州方面への入り口か?

第9問『この文具を「おしぴん」と言うことがありますか?』

はい。西日本では広く言うらしい。

第10問『「目のふちにできる小さなできもの」のことを 「めばちこ」と言うことがありますか? 』
いいえ。個人的には大阪の人からしか聞いたことがないがもっと広く分布しているのだろうか。

第11問『「新しい品物」のことを「さら」または 「さらぴん」と言うことがありますか? 』
はい。これもどの辺に分布している言葉なのかわからない。

第12問『お皿を食器棚にしまってもらう時、「これなおしといて」と言うことがありますか? 』

いいえ。

で、これが近畿地方への最終関門である。ここで「いいえ」と答えると九州中国四国地方へ飛んでいって戻れない。しかし私は生まれてこの方滋賀方言の話者として知っている人は千人単位になるが、この言葉を使う人は見たことがない。ただしその千人単位のほぼ100%が滋賀の中のマイナー方言の話者で、湖南のマジョリティに属すると思われるのは10歳と5歳の小学生と保育園児の2人のみなのでサンプルが偏りすぎて滋賀県を代表できないのは上述のとおりである。仕方ない、絶対に言わない、全く使わないけれど「はい」に進む。

第13問『「人がたくさんいる」と言う時、 「人がよっけおる」と言うことがありますか? 』

いいえ。「はい」と答えると四国へ行きそう。ただ、意識としては「ようけ」と言うので、「よっけ」は言わないと答えるけれど、実際の音声をみれば言っていると思う。

第14問『小学校の「通学区域」のことを 「校区」と言うことがありますか? 』
いいえ。実はこれ、わからない。言ったような気もする。自分の小学校時代は忘却の彼方だし子どももいないので確信はないのだが、これはどっちを答えてもいずれ別のルートで同じ質問に到達するので構わない。とりあえずいいえ。

第15問『車で道が「渋滞する」ことを道が「つんどる」と言うことがありますか?』

いいえ。この辺で和歌山とか奈良への仕分けがなされる。

無事滋賀県に到達しました!もし全ての質問に正直に答えていたら東京都か神奈川県か山口県に行ってしまうのだが2箇所の関門を注意深くくぐることによって滋賀県にたどりつくことができた。すなわち「お土産あたる」で実際は言うのに言わないと答え、「直しといて」で言わないのに言うと答える、この2回で確実に嘘をつけば滋賀県にたどり着くのである。

ということで、この試みへの評価を考えてみると、まあ遊びだよね、ということでそれなりに楽しめるのと、いろいろ知らない方言を見られて面白いというのは評価できる。しかし上述の通り明らかに言うものを「言わない」、逆に言わないものを「言う」というのは実際非常に心理的に抵抗があって、そこで事実と逆の答えをしないと絶対に出身県にたどりつけないというのはなんだか面白くない気分になってしまうのだった。これはたぶん、言語調査というものが本質的にもっている傲慢さによるのだろう。どのようにカテゴライズしてもどこかから不満は出る。学生時代あるマイナー言語を調査されているフィールドワーカーの先生が「おせっかいなことをしていると思いますよ」と述懐されていたのを思い出す。この傲慢さを踏み越えていかないと言語学も人類学も社会学も発展しないわけだが、その辺にどう折り合いをつけていくのかは難しい。学問そのものが試行錯誤している過程かと思う。

と堅い話はその辺にして、タイトルは「そんな滋賀県がある訳ないやろ」の意。これは方言に文句があるのではなくて、なんやそのイラストは、という意味。「湖のほとりにはカフェがいろいろ」ってどこのパラレルワールド滋賀県ですか?特にそのイラストのティーポットからコーヒーカップまでのエリアにはカフェなんて皆無に近い。滋賀県については虚構新聞が詳しいので、虚構新聞びわこ放送でもう少しその実態を研究していただければと思う。