緑の白船が逝く

安野光雅は小学校四年生の時に鉛筆書きの新聞を発行したという。ニュースや漫画や、連載小説や広告まで載せて無料「いや、読んでもらえばこちらが金を出してもいいと思うくらい」だったという。「緑の白船」というタイトルの、その連載小説はこんなのだった。

石州津和野城下から北へ二十里行くと、東洋一の屋敷があって、このあたりの人は杉屋敷とよんでいるのであった。そいでその家の中に住んでいる杉守老人を見た人はだれも見たことはなかった。そいでからもちろんこの家には杉守老人しか住んでいなかった。そいで杉守老人の屋敷は壁に囲まれていて城のような家で見知らぬ人を見たらすぐかみ殺す犬が居るけえ猛獣使いでも近づけなかったのだ。

                                                                   安野光雅「起笑転結」文春文庫 p.188 

 見た人は誰も見たことはない杉守老人と見知らぬ人を見たらすぐかみ殺す犬の運命やいかに!と今読んでも血湧き肉躍る展開の小説は、しかし作者本人の「華麗な”名”は”実”のないときの方がすばらしかった」という箴言で振り返られているのだが、この天才は子どもの時から真正のエンターテイナーであった。

 

福音館書店(ちなみにこの読み方は「ふくいんかんしょてん」です)の絵本で安野に出会った人は多いだろう。私もそうだった。母の実家に「ふしぎなさーかす」があって、私はそれを寝たきりの祖母に読んであげた。しかしそれは絵ばっかりで読んであげるところは何もなかったのだが、確かに読んであげていた。どうやって楽しんでいたのかわからないが楽しかったことは、そのライオンたちが火の輪をくぐるイラストと同じようによく覚えている。50年前の話である。(下のリンクは1981年の本になっているが初版は71年に出たもの)

子供たちは長じて後にたとえばエッシャーを知る。しかしエッシャーをおばあちゃんに読んできかせることはできない。何も文字はなくても絵だけでエッシャーの物語をこどもにもおばあちゃんにも楽しく見せてくれた人は安野光雅しかいない。

 

安野は絵の業績があまりにも偉大すぎて、軽妙洒脱なそのエッセイについては、語られることが少ないのではあるまいか。しかし安野の怖さはそのエッセイにある。その思考は痺れるように論理的で明晰な思考はどこまでも合理的だった。そのエッセイもまた幾多のだまし絵と同じように、楽しみの上にもまた楽しみを重ねた過剰なサービスの賜物だった。

 

冷徹な思考は、世界中の人々から愛された人間味のあふれる日常のひとこま、不合理と余剰と魑魅魍魎を煮詰めたような人間臭さのただようスケッチとは対極にあるかのように思われる。しかし凡人であればそのどっちかの世界にしか住めないのであろうが、天才はこれを俯瞰して両方の世界をいきつ戻りつしながら世界の広さと奥深さとを、時に美しいスケッチで、時に一枚に何十匹の動物が隠れているような不思議な空間で、そしてある時には論理に裏打ちされた玲瓏な光を放つ散文によって伝えてくれる。世界の何をやっているのか凡人に理解されない天才たちは絵心のない安野なのかもしれない。

 

もしも私が信仰を持っていたならば、それに基づいて天国なり極楽浄土に故人が旅立ったと思うのは筋が通っているだろう。しかし無神論者の自分は、物質的な死は死としてただその事実を受け入れるのみである。そして、こういう思考は、私は徹底的に安野から学んだ。そんなことを教えた覚えはないかもしれないが、学んでしまったものは仕方がない。寂しくなる。寂しくて仕方がなくなるが、自分もやがて土に還る、それまでの過程の痛みである。

 

とかなんとか感傷的になってはいるのだが、せっかくだからいくつかお勧めを紹介しておこう。はっきり言って高い。高いけど、たとえば「もりのえほん」なんてこれ1冊で無人島に行ってもいつまででも楽しめると思っている。


五十余年の今までの人生で、ずっとお世話になり続けた方でした。無神論者ではありますが、緑の白船に乗って旅立たれる姿を想います。ありがとうございました。