お土産を持って来ない人

年一回のペースで集まっている会合がある。とある町の駅前の飲み屋で、毎回3-5人ぐらい、去年一人亡くなってしまった。今年はコロナで開ける目処が立っていない。

 

当然のように自分は受け入れられていると考えているメンバーの中で、「あれ、そうでもない?」と気づく時がある。それはつらいけれども、けっこうあるのだが、このメンバーはふだん全く会わない、この時にしか会わないのに完全にリラックスして受け入れあっていると思っている。もうここで「あれ?」となったら終わりだけど、ならないと思う、そんなメンツ。

 

この中で私はただ一人お土産をもってこない人である。そういう信念があるのではなくて毎回たまたま忘れるのである。しかし自分は年に1回しか合わないそのメンツの中で十分に受け入れられて楽しんでいる。と思っている。

 

次こそはお土産をもっていくのだ。メンバーの一人はパートナーさんに入れ知恵されて、かさばらず、日持ちがして、おしゃれでおいしい、絶妙のセレクションを毎回もってくる。なんてことだ。なんで私だけなにもなしなんだ。ありえない。

 

私は職場のお土産が嫌いだった。おいしいのだけが好きだけど、おいしくないのを買ってくる人と、そして上司とかが、もらったそれを私にくれること、くれたら喜ばなきゃいけないのが嫌だった。ほら、甘いの好きだろ、みたいな。好きですよ、でもこんなまずいのは嫌いですよとかはさすがに私も言えない。わーい、ありがとうございまーす、ぐらいなことは言ってたんだよ、若い時は。ああ嫌だった。だからその1つを取っても、今非正規雇用ばっかであと10年もしないで仕事がなくなってそのあと30年ぐらい生きるかもしれないのにどうするんだよってことを考えても、嫌いなお土産を喜ぶ必要がないから、今の生活もがんばれる。

 

でも持っていくのも持っていかないのもよし、義理でないお土産はおいしい。これはあってもなくてもなんの問題もない、と持っていかないほうが言っている、そんな関係が一つあることは本当に幸いなことだ。今年会うことができないのはなんと残念なことだろう。コロナが終息してくれれば、あの飲み屋でまた集まれる。それまでは当面それぞれ体を大事にしようね、それしかできないけど、とさっき首謀者にメールした。

 

亡くなった友人の一周忌をそれぞれの場所で偲んでいる。