新春雑感2021

Happy New Yearよ、ほーんとにね、すごーいよ(クロマティーの口調で)

いや凄いよね、クロマティ。今ウィーラーとやってるのYou Tubeで見て、ほんま凄いなとHappy New Yearな気分になっています。ありがとう、クロマティー、ありがとうウィーラー。You Tubeの功績やね、私巨人嫌いなのに、個々のやってる人たちはみんな格好いいなあとYou Tubeみて思うようになったもんね。人生で村田真一を好きになる日が来るとは思ってなかったよ。そして激うまな肉じゃががあるんですけどね、作ったんだけどもうすごーいよ、感動よ、あのね「何かを育てている人」は凄いと思うのね。子どもは勿論だけど、動物でも植物でも、部下でも学生でもなんでもね、私は何も育ててないね、それでなんか育てようと思って買ったのね、鉄製のフライパン。20センチだよ、小さいね、ほとんどスキレットだね、いいんだよ一人だしね。ほんで毎日少しずつ育てたらね、今日ついにやりましたよ、激うまな肉じゃが。すごーいよ。Happy New Year だよ、ほんとにね。

 

今年はとてもよい餅をみつけた。それはただのスーパーの袋に入った丸餅が、大晦日の夜に半額になっていたものなのだが、大きくて柔らかくてよく伸びる。正月のために搗かれて間がないことがわかる。大晦日の夜、スーパーの生鮮食品は全部半額になっていた。スーパーの鮨の値段とは思えない新鮮で美味しい鮨で年を越す。

 

 米どころで育った。小学生の時の雑煮は餅が7つ。家族で40個、3が日で朝だけで120個の餅を消費していた。正月の餅は杵でついて、搗き立てはさと醤油(砂糖の語末母音は短母音になる)かきな粉で食べた。餅つき機を買ったのはいつ頃だったか、大家族で餅箱がいくつもいっぱいになり、はまぐりという普通の小さい餅を丸めるのは子供の仕事だった。床の間の大きなお鏡と、あちこちに飾る小さなお鏡は大人たちが大きな手で形作った。どこでもこんなにお餅を食べて、こんな風に正月を迎えているのだろうと思っていた。美味しい餅を得られるのはなんとラッキーなことなのか、今となってはわかる。

 

最近になって嗜好が変わったことがある。おだんごと豆が大好きになったこと。これはびっくりだった。何年前だっただろう、友人と食事をして「豆が好き」と言われて驚いたことがある。豆は別に嫌いではない、どちらかといえば好きだけど、積極的に好きな人がいるとは思わなかったから。とはいえ、その当時でも納豆は積極的に好きだったのだが、納豆は別な気持ちがある。豆が好きというのは、華やかなことが好きで明るくてちょっとミーハーなその友人が、クラスでもっとも地味で目立たなくてクラスが終わったら一番に忘れそうな人を好きだと告白したような気がした。こんな地味なのを好きな人がいる、よりにもよってこの明るい友人が。そして紆余曲折は何もなかったのに、気づいたら豆が好きになっていた。一つだけわかったことは、嗜好は変わるということである。

 

おだんごもこのカテゴリーに属す。だいたい、和菓子といえばわたし的には桜餅と水羊羹が双璧でぶっちぎりなのだが、おだんごは付いて来たら食べるけど自らお金を出して買おうとは決して思わないものだった。とはいえ買ってるじゃないかとSNSなんかを探されるとあるに違いないが、それはいわゆる映えのためであって、別におだんごが特にほしかった訳ではないと思う。しかるに今や、デパ地下の全国各地の名産のお菓子を少しずつ集めた悪魔のようなコーナーに行ってもまずおだんごを買ってしまう。ケーキやドーナツは明日地球上からなくなっても一向に痛痒を感じないがおだんごはそうはいかない。繰り返すが、嗜好は変わるということである。

 

発言する場がいくつかあるのは幸いなことだ。ここでは誰に読んでほしいのだろうと考える。まあ誰でもいいやと思う。誰でもいいし、好きでもない人もあとで好きになることがある。大好きなみなさんも、あまり好きではないみなさんも、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。