ツイッターやってない人の話

レポート書くと言ったのでレポート書きました。

例えばうちの親はインターネットという調べ物をしたり買い物ができる便利なツールがパソコンの中にあることは知っているが「ネットで知り合う」ということが理解できないようである。ネットユーザーとそうでない人との間にはツイッター以前から分断があった。次に、ネットユーザーではあるがSNSを始めとする双方向コミュニケーションツールを使わない人々がいる。そもそも情報リテラシーに欠ける親の場合と違って、選択的にこのツールを選ばない人々とそのヘビーユーザーの間にもやはり分断はあって、ネットの常識が世間の常識ではないというのもツイッター以前からの話だった。

さて、私自身が属するのはSNSは使うどころかヘビーユーザーであり3次元より2次元の方が友達が多い(単なる知り合いも友達にカウントする)ぐらいでありながらツイッターにコミットしていないクラスタ(あるのか?)である。つまりフェイスブック(以下FB)もやっている、はてなというようなちょっと中毒みたいな人ばっかのとこでよく遊んでいる、友人とのやりとりは基本オンライン、でもツイッターはやっていないという人々にとってのツイッターインパクト、を書こうとしているのだがそんな人はただの変人であって分析しても単なるノイズである可能性は高い。しかし言語の真実はノイズに宿るのである。嘘です。

ともあれ事例の一つとして上記のスライドの13ページの問題提起に情報提供を試みる。レポートと言っても単位をとる訳ではないので単なる随想なのは誤用者でなくてご容赦いただきたい。

ウェブ上のコミュニケーション(の変化)は物理 的身体世界(ウェブの外)でのコミュニケーショ ンにも影響があるだろうか?

ツイッター後私の人生はどう変わったか。
「人々は私の知らないところで情報を共有している」という前提ができた。簡単にいうと話についていけない。上等だよ。ついて行く気なんか端からねえよ。話が俺についてこいよ、と思っているから私は問題ない。わたし的には全然問題ないけれども、ツイッターをやっている人とやっていない人とで分断されているものはあるだろう。

数年前にあるオフ会に参加した時のこと、数人の参加者が会話の切れ目でいっせいにツイッターを始めたことがあった。何をやっているのかというと実況中継である。そのオフ会はツイッター上で呼びかけられたものであり、実際に参加している人の他に「バーチャル参加者」がいっぱいいて、そういえば今日は○○オフだな、あいつら楽しくやってんのかなとか思っている人々をうらやましがらせたり、その場限りで流れていってしまうようなネタを振ってオンラインで「参加」してもらったり誰それがもってきたお土産を晒したり、要するにツイッターはオフ会でさえもオンにしてしまったのである。私は目の前に対話相手がいるのに直接しゃべらずにスマホを介して会話するというのを目の当たりにして呆然としているのみだった。「会話」の参加者は今そこにいる人だけではない、ここの会話は大きくいえば世界に開かれているというのは記録に値する変化ではないか。ツイッターやってないのに「オフ」にのみ参加しているのは私だけだった。たまたま参加者に知り合いがいたので声をかけてもらったのである。念のため、私はこの状況に不満を感じていたわけではないということを付記しておく。

このことはみんながスマホを持ち歩くようになって(私はガラケーユーザーな訳だが)モバイル環境が劇的に変わったことや、他のSNSやメディアとの相互の影響もあるだろうしツイッターも数年後には別のメディアに取って代わられているかもしれない(ので研究者も大変ですね)。と書いていて別の話を思い出したのだが、ちょっと前に学生たちが飲み会で「○○ってさあ、ツイッターでやることFBでやってるんだよねー」と非難がましく話しているのを聞いた。○○は学生の一人であるが、その彼は「普通の人」であればツイッターに上げるべきネタをFBに上げているのだと非難されている。彼女ら彼らの中ではネタ的にツイッター向きとFB向きの話題が厳然と仕分けされていて、その境界を越えるのはご法度なのだった。逆なら、メンバー限定のFBの中でのみすべき話題を「外」のツイッターに出したと非難するのならわかるのだが、どうもそういう話ではなさそうだった。若者の中にはツイッターに上げるべきトピックが存在している。メディアが話題を選んでいるのである。

さて、話を私個人に限るのであれば実はツイッターの前後でたいして人生に変化はない。周りが勝手に変わって、たとえば熱心にブログを更新していた人がツイッターばっかりでブログを放置するようになったので読みに行くところが減ったというようなことはあるけれども、基本自己中なので我関せずというところである。どうしても必要な情報は他のところにもある。リアルタイムの情報に関しては遅れがちではあるけれど、そこまでリアルタイムである必要があるのは災害の時ぐらいで、災害にしても本当に安否の確認が必要なようなのはレアケースで、大方はこんなに雨が降ってスゲーとかそんな情報は全然いらない。余計な情報が入ってこないのは精神の安定のためにはなかなか捨てがたい環境である。ついでに言えば自分はやってなくても他人のツイートは読めるしやってない以上ブロックされるようなこともないので、対話ができないだけで外から恩恵に浴している部分もある。あるというか、取捨選択しないで他人がまとめてくれたりブクマがいっぱいついているところを見たりするのは情弱な私には大変便利である。やっぱりはてなでいいんじゃないか。←結論

という訳で、一般論として何かを言おうとするなら、まあツイッターやってない人もまだまだいっぱいいるよぐらいでしょうか。特に配慮が必要だとは思わないけれど、ツイッターから見える世界のコミュニケーションのありようは、上述のようにやってない人にもインパクトを与えてはいるけれどもまだ限定的なものだと思う。今後もツイッターに手を出す予定はない。(出さないとは言っていない。)