関西に谷川浩司あり−【書評】「怒濤の関西将棋」谷川浩司

谷川浩司は勝負師ではあるがエンターテイナーではない。一世代前の芹沢博文米長邦雄、内藤國雄といった人々は、その人個人を評価するかどうかにはここでは触れないこととして、こと将棋に関しては、将棋を知らない素人をも楽しませる文章を書く人々だった。谷川は違う。その堅さまじめさ誠実さが行間からあふれ出してきて、ユーモラスな文章でさえもなんか堅い。人を楽しませる技を持って生まれた人ではないように思う。そしてそれがいい。そりゃ面白い人はそれはそれでいいんだけれども、やっぱり人の世はまじめで一本気で努力家で才能はあっても驕らず誠実が服を着て歩いているような人が報われるようなところであってほしい。そして谷川浩司がここにいる。しみじみとよい本だと思う。

前半の阪田三吉升田幸三大山康晴らの逸話が面白い。それぞれに数々の伝説を残した人々だが、伝説は伝説であるだけに面白おかしく脚色されている訳で、今となっては昔のことになるからもはや正確な所は誰にもわからないにしても、淡々と歴史をたどるような評伝はあってほしかったしそれは谷川浩司だから実現できた仕事だと思う。下手な演出は控えて素材の味を出す。関西の味といえるかもしれない。

さて、最初から面白いですよというと万人向けと思われてはいけないので上のような予防線を張りましたが面白いです。でも将棋のことに興味も関心もなければ何も面白くないかもしれない。その辺が、興味のない人の関心を引こうという下心のない、あるいはあるとしたら失敗しているところが、谷川浩司が書いたと思えば誠実さの証しに見えてくるから贔屓目というのは恐ろしい。私は谷川ファンなのだ。ファンとして面白かったのは詰将棋が必ずしも指し将棋にプラスになるとは限らないということを言っているところ。これはあくまでプロの話であって、アマチュアであれば強豪レベルでも詰将棋はプラスになると考えてよいのではないかと思うが、詳しいことに触れるのは控えるけれども自ら詰将棋を作り詰将棋を楽しむ谷川が一方でこの冷静な論考を示しているところが格好いい。

とはいえ将棋を知らなかったとしても、道を究めている人の勝負哲学だから普通に読んでも得るものは多い。

まず、一手一手を考えているようでは伸びない。小さなときは少しぐらい粗削りで、大きなミスがあったとしても、自分の狙いを持って、自分の力で考えることが大切だ。(p.109)

小さなときならともかく凄く大きくなってからでもいちいち「一手一手を考え」てばかりで何事につけ伸びたためしがない身としてはあと30年早く聞きたかったようにも思う。

羽生だの森内だのもっと若い人々だのを蹴散らして是非もう一度名人に返り咲いて欲しい、というとそれは無理とか私の周りの無理解な人々はいうのだけれど、私は本気でそれを願っています。関西に谷川浩司あり。将棋連盟会長の重責がなんするものぞ、まだまだ花を咲かせてほしい。