方言小説の愉楽:宇野千代「不思議な事があるものだ」

同好の士のために。

宇野千代を全く読んだことがない、もしくは何か読んだかもしらんけど別に面白くなかったという人にはお勧めはむしろこっち。

生きて行く私 (角川文庫)

生きて行く私 (角川文庫)

この自伝的エッセイ「生きていく私」は30年ぐらい前に確か毎日新聞の日曜版に連載された物で当時結構評判になっていたと記憶する。宇野千代の小説なり他のエッセイを読むならこれを読んでからにした方が著者の人となりや背景がわかって面白い。そんな講釈は抜きにしても抜群に面白い。私はネガティブシンキング教徒で、とにかくネガティブ志向でネガティブ思考で何が嫌いってポジティブシンキングが大嫌いなので、たとえばフェイスブックなんかに手を出しても、朝から毎日お花の写真に添えて今日もがんばろう的なポストをしてくる人がいたりすると何年来の友人だろうが問答無用で一言の断りもなく友達をやめる。(念のため、花とか食べ物とか子供の写真とかがウザいというのではない。それにつけられたポジティブなメッセージがウザいのである。ついでにいうと、勿論友達からそういう仕打ちをされるのも構わない。)で、この宇野千代という人はご存知の方も多いと思うが徹底したポジティブシンキングの権化みたいな人である。しかし私はこれは認める。徹底するとポジティブとネガティブは一回りして同じところにくるのだと思う。ともあれ、この本はそんなうっとうしいことを考えなくても楽しく読めるので宇野千代の著作としてはまず一番にお勧めできる。閑話休題

冒頭に紹介した短編集には実に1927年の初出の物から96年に著者が亡くなるまでの小説とエッセイの中から16編が収められている。中の短編には瀬戸内寂聴が激賞していた「二人はいつまでも股を合はせてゐたのである。」という件(くだり)が出てくるものもあって、実は私もこの件には感嘆した覚えがある。それはともかく、これらの小説のうち昔書かれたものは、会話はもとより地の文までが方言で、恐らくは彼女の故郷の今の山口県岩国市あたりの方言と思われるもので書かれている。少し引用してみよう。

「笑ひ事ぢやあないでよ、おばあやん。私はうちで作つてゐる半衿よりも、もつともつとええ半衿を作つて、売り出したいのでよ。それには、半衿をかける台と半衿の布と、それに使ふ縁取りの糸とが、いるぢやろうがの。

(「不思議なことがあるものだ」宇野千代 中公文庫p.28-9)

「おばあやん」だけで私は痺れる。以前に斎藤茂吉の山形方言についてもちょっと触れたことがあるが、自分の方言でもないのにこの慕わしさはなんなのだろう。これはもしかして「日本むかしばなし」なんかがいかにも方言ぽい文体を採用するのと同根のノスタルジーめいたものの仕業だろうか。ともあれ、冒頭に書いた同好の士−なんであれどこの言葉であれ方言で書かれたものに惹き付けられずにいられない人々(if any)−にこの短編集を捧げる。何が面白いねんと言われるかもしれない。いやわかってくれんでええし、というのがおよそマニアと名の付くものの愉楽ではないかと愚考する。