少なくともここにカウンターがある-書評 NATROM『「ニセ医学」に騙されないために』

「ニセ医学」に騙されないために   危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」に騙されないために 危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

本の形でこういう情報が手に入る。これがまず第一に喜ばしい。書店で怪しい健康情報を満載した本のまん中に積んであるだけでも状況は劇的に違う。タイトルもよい。煽りのテンプレかもしれないが誰だって騙されたくはないから。わしゃ騙されてなんかないもんね、これだって怪しいんじゃねえの?と思いながらでも手に取ってみる人が一人でも二人でも増えれば、そのうちの何割かには必要な情報が届く。届かないまでも、ある情報に対してそれはおかしいと発信する情報があるという事実を知るだけでも「ちょっと待て、両方の話を聞いてみよう」と思う余地が出てくる。

怪しいニセ医学情報があるとして、この本がカウンターとしての特効薬というのではない。そんなものは最初からあり得ない。NATROMさんのブログの読者には即効性抜群の特効薬を期待してしまう向きもあるかもしれないが、なんの予備知識も持たない、あるいは怪しい情報に振り回されている、あるいは多少怪しくても何かに縋らざるを得ない人に対して情報を届けようとするなら「とりあえずこの辺から始めるしかない」のではないかと思う。

しかし勿論TAKESANさん(id:ublftboさん)の【書評】層・射程――NATROM『「ニセ医学」に騙されないために』のようなフィードバックは重要である。著者や医療従事者にとっては

間違いを指摘するにあたって、詳しい専門的知識を要するものも省き、あまり医学に関心のない方にも読んでいただきやすいようにしようと試みた。(p.4)

ものであっても、もともとの知識に差がありすぎるのだから、いくら「詳しい専門的知識」を省いたってある程度小難しい用語や言い回しが出てきてしまうのは避けられない。もとより小学生にもわかるほど易しく書かれた本ではない。そこまで易しく書くのにかかる費用対効果の問題としてそれよりはもっと物のわかった大人向けに書いたほうが効果があるだろう。では、中学生は?高校生は?高校を出て10年ぐらい働いて全部忘れた大人は?昔学校に行けなかった老人は?と考えると、ここに著者や出版社が想定したターゲットに必要な情報を届けられるのかという問題が出てくる。それは書評やコメントなどで個々人が自分の思いを伝えていけばよいと思う。私はわかった、わからなかった。難しすぎる、わかりやすい、そうでもない、などなどフィードバックしていくことで著者は勿論、出版社、同種の情報発信をしようとしている人の次の情報発信につながっていくだろう。

私は上記のTAKESANさんの記事に対して、私はそうでもなかったという意味のブックマークコメントをしたのだけれども、それは冒頭に書いたようなことを考えていたからであって、たとえば「憎悪」といった用語などには振り仮名と意味がついていて欲しいと思ったし、ぶっちゃけ素人にとっては「臨床試験」とか「中央値」とかですら意味を調べないとわからない訳で、私がひっかからなかったのは「わからないところは適当に判断する」技を駆使しているからにすぎない。私はそこは私らが、私ら自身のために、最低限のことは自分で調べようよと思う。でもそれを、皆が皆に要求できるとは限らない。畢竟各人ができることをしていくしかない訳で、少なくともNATROMさんは現時点でできることを尽くされていると思う。

NATROMさんは私ら−ネットの世界の住人、とくにはてなとかその界隈に生息する重篤患者−にとっては有名人で、基本的によい方向で有名だと思うが、そうではない、NATROMさんにあまり好感を持っていない人には、是非「批判してやる」「論破してやる」の目的でいいから手にとってもらえるとよいと思う。第一に有効な批判であればそれはNATROMさんはもとより賛同者にとっても大変有難い話で歓迎される。冗談抜きで医学の進歩に貢献するかもしれない。そして批判者には是非とも虚心坦懐に是々非々で批判に務めていただきたいと思う。著者や賛同者をうならさせるような、とはいかなくてもそういう批判もありかもと思えるような議論になればこの本が世に出た意義も大きくなるだろう。

あるいは、興味のあるところだけ読む形でもよいと思う。たとえば痛み止めの否定については

 とても大切なことなので再度述べるが、「痛みからの解放は患者の生きる権利であり、医師の義務である」。(p.50)

とても大切なことなので再度述べたそうだが、何も難しいことは言っていない。言われて見ればあたりまえのことである。また出産については

せめて、現在の安全な出産は、産科医や助産師たちの不断の努力の成果であり、それでも出産に100%の安全はないということくらいは広く理解されてほしい。(p.72)

ほとんどの人が安全に出産する中で、危ない目にあったり死んだりがどんなに低い確率でも、自分や家族がその一人に当たってしまったら納得できないものであろう。当事者の思いに対してはいつも慎重な配慮が必要だけれど、どんなに低い確率でも当たってしまう人はいるしそれは自分かもしれない。どんなに努力してもできないこと、たとえば100%の安全な出産、はできないということを知るのにも、特別な知識は必要ない。

私たちは一気に世界を変えることはできないし、他人の考えを変えることもまずできない。できることはといえば選択肢を示すことである。根拠のある説得力のある選択肢が、手の届くところに、ネットの世界の住人ではない人に発信できる手段の一つとして示されたことを歓迎したい。