SJLL Vol2読んだよ その7

最初にこれを書き始めてから半年ぐらい経ってるような気がして一回めに書いたのいつだっけと見てみたら1月26日だった。なんだ、まだまだ大丈夫(何が)。なので7回目にしてまだ3ページ目を読んでいるとしても気にせずに細かいところに茶々入れをがんばります。

なんの話をしていたのかというと、ここです。

シヨウ形は終止法では推量「あいつがきっと来よう」・意志「いつかここに来よう」を表わすが、非終止法では全くそのような意味を表わさない

そうですか?ここのコメント欄でもkillhiguchiさんは「きっと」などの副詞と共起しないことを「シヨウ形が終止法で推量、意志を表すのは喚体のメカニズムによるのではないか」という理由に挙げられているのですが、上記のkillhiguchiさんのエントリで挙げていただいたシヨウ形の非終止法などに副詞をくっつけて、推量や意志の意味が出せそうなのを考えてみました。

「まだ機体は見つかっていない。それでも万が一にもあろうはずもない奇跡を願う」
「私としたことが、恐らくはあろうはずもない奇跡を願うとは。」
「英語も読めないやつにロシア語がまさか読めようはずがない」
「こういう例はたぶん他にもあろうが今は思いつかない」
「そんなことをもしもしようものならただではおかない」
「私だけ早く帰ろうものなら次の日机がなくなる」
「たとえどんなことをされようが帰ってきてはいけない」
「細胞がひょっとして存在しようとも剽窃は許されない」
「ネットで言われていたことがこんなに早く本当になろうとは思わなかった」

終止法ではないシヨウ形にも推量がありそうに思うのですがいかがでしょう。それからkillhiguchiさんが挙げられている「しようにもできない」って意志じゃないんですか?

ということで、シヨウ形は終止法と非終止法が重ならないという、喚体のメカニズムをもってくるそもそもの意義のところにもう一つ納得がいかないというところで本日はこの辺で。(だらだらと続くはず)