人に黒歴史あり

前回のエントリにTAKESANさんからトラックバックをいただいた。
或るトンデモ支持者の履歴――科学的懐疑主義に目覚めるまで
大変な労作で(なんであんな短時間にかけるんだろう?)面白かったのだが、コメントしたとおり、当然のことながら自分のケースとは全く違っていた。これはトンデモ履歴を言語化しろとか言い出した自分の場合も早く書かねばと思い、子供の頃にまでさかのぼるTAKESANさんのエントリに倣って書きたい。なお、トンデモという言葉についてはTAKESANさんが

※ここで「トンデモ」とは、オカルトや超能力、ニセ科学的な言説の総称として用いました。語源からすれば適切ではありませんが、総合して上手く言い表せる語が他にありませんでしたので、使いました。

とされているのを、ここでも使わせていただきたいと思います。

と書いている間にどらねこさんのエントリ
サイエンスコミュニケーションで自分なりに考えていること
lets_skepticさんのエントリ
信奉者だった僕はどのようにして懐疑論者と呼ばれるようになったか
が目にも留まらぬ早業で上げられた。皆さん凄い。しかし私を含め、みんなこんな最近までトンデモ支持だったのかというのは実際びっくりである。

子供の頃
浄土真宗正信偈(しょうしんげ)を仏壇の前で毎晩祖母と唱和するのが日課の敬虔な仏教徒だった。信仰の深い土地柄だったが家族は仏教徒というほどでもない。仏教保育園で教えられたこと、少年少女世界文学全集などで「信心深い」ことが(宗教を問わず)大切な価値観だったことなどに影響されていたと思う。ごく小さいころはおばけ対策の意味もあった。「仏様におすがりしていればおばけからは守ってもらえる」みたいな願望があったが次第におばけは信じなくなった。

仏教を信じる一方で霊とか超能力とかUFOなどについては信じたことは一度もなかった。サンタクロースすら最初から親だと思っていた。親鸞の伝記を読んで「仏様以外は何も信じない」と思っていたのだが、仏様も信じなくなったのは小学校5,6年の担任の影響である。なんでそんな話をしたのか忘れたが「私は仏様以外は何も信じない」と言ったところ「先生は仏様も信じない」と言われて考えた末自分も仏教を棄てて転向した。

中学の頃
コックリさんやキューピッドさん(基本的に同じもの)が流行っていたが、「そこはコックリさんが入ってくるから立っちゃダメ」とか言われると積極的にその場所に立ったりして、実はオカルト批判に努めていた。さほど反発されることはなかったのだが、一度徹底的に孤立したのは「主(ぬし)のヘビ」を否定したときである。

うちの田舎には各家にその家の主のヘビがいる。(実はうちの実家にも今もいる。)昔の家だとスカスカなので平気で家の中にヘビが入ってきて鴨居から落ちてきたりしたのだが、その辺の人は決してそのヘビを粗末にすることはなく、追い出すにしても丁寧にお引取り願っていた。そのヌシの話題になったときに何気なく「あんなの迷信だよね」と言ったところ、周りじゅうから引かれて、日ごろはおとなしいグループの子らも「そんな筈はない。ヌシは家を守ってくれている神様だ」と言って絶対譲らず、「なんでわかるん?」といえば「父ちゃんがいうてた。ウチは父ちゃんのいうことを信じる」ときっぱりと言われた。信者は説得できない原体験だった。

そんな感じでほとんどトンデモとは縁のなかった子ども時代なのだが、落とし穴は青年期以降にあった。

定番:美味しんぼ体験
さて、お約束の「美味しんぼ」であるが、私は「スピリッツ」を毎週買っていたものの「美味しんぼ」はあの三文芝居みたいなアホくささに耐えられず、適当に読み流していた。ある日、先輩と飲みに行った居酒屋でイカワサビが出てきた。成人になっていた(たぶん)が舌が三歳児だった私はワサビが食べられなかったのだが、当時は体育会に心身を捧げていて、先輩の前で食べられませんというようなことは不可能だったので、我慢して飲み込むようにして食べたところ、これが劇的においしかったのである。

美味しんぼ」に書いてあるのはほんまやったんや!と心が震えたあの日の感動を私は今も忘れない。たまたま自分がいかにも「美味しんぼ」に出てきそうなエピソードを一度体験したからといって「美味しんぼ」に書かれてあることは真実だ!と一般化してしまうところが素人の赤坂見附(と、当時のおやぢギャグまで思い出してしまったが)もとい、浅はかさである。たまたま私が劇的においしいイカワサを食べて、ちょうど酒の味を覚えて嗜好が変わり始めていた頃とも重なってわさびの味に目覚めたからといって、「美味しんぼ」に書かれてあることの妥当性が1パーセントでも上がるわけではない、と今はいえる。しかし、この一度の強烈な体験が冷静な判断を狂わせるということを身をもって体験してみると「ホメオパシーが効いた!」と主張する人を私は決して笑えない。その後はお決まりの、「天然志向」「添加物ダメ志向」に流れていくのが、「美味しんぼ」読者としては当然の帰結だった。

朝日ジャーナルから週刊金曜日
そんなわけでオカルトやら超常現象とはまるで縁がなかった私が落ちる落とし穴はこっちだった。朝日ジャーナルが最後の輝きを放っていた頃(編集長は勿論筑紫哲也)、年代的には政治の季節は一昔以上前に終わっていたのだが、私はバリバリ体育会をやりながらバリバリ(と本人が思っているだけのなんちゃって)左翼だった。サヨクと片仮名で言われるようになったのはもうちょっと後である。たぶん本多勝一にも強い影響を受けた最後の世代だったと思う。しかしこっちが思想的に染まろうかという時にソ連は崩壊するわ、昭和天皇が亡くなって自粛モード反対!のデモに出てみるとあんまり軟弱なデモなのでやってきた右翼があきれて帰ってしまうみたいな、なんかうちらって左翼って言ったら左翼に失礼だよね?という状況で精神的なよりどころを見つけられずにいたときに登場したのが週刊金曜日だった。

その創刊の志は今も立派なものだと思う。広告主に左右されず、読者の購読料のみでやる、スポンサーの意向に逆らえないマスコミにはないジャーナリズムを作るのだという志に共鳴して、5年、また5年と定期購読するうちに私の中には「週刊金曜日に書かれていることは正しい」という固定観念ができていた。「遺伝子組み換えは悪である。なぜなら週刊金曜日に書いてあったから」「911陰謀論はありうる。なぜなら週刊金曜日に書いてあったから」と信じて疑わない私に「主のヘビは神様である。なぜなら父ちゃんがそう言ったから」という友人を批判する資格などなかったと気づいたのはずっと後の話である。

この落とし穴はけっこう普遍的なものではないかと思う。つまり思想的に、信条的にあるいは人格的に、共感するないし尊敬する人の言説をろくにチェックしないで受け入れて自分の意見のように思い込んでしまうという穴である。勿論ある程度発言が信頼できる人という見極めは、全ての知識を自分でチェックすることは不可能な以上必要なことであるが、発言を信頼することと盲信することは全く別物だということにも思いが至らなかった。ちなみに週刊金曜日といえば「買ってはいけない」であるが、私はすっかり「自然志向」になっていて「買ってはいけない」に登場するような製品はそもそも買っていないということがほとんどだったので、これにはあまり影響されなかった。既に類似の言説に影響されまくりだったので改めて「買ってはいけない」に影響されるほどでもなかったのである。

曲りなりにマルクスなどを読んで左翼たらんとしていた学生時代から、だんだん無節操なノンポリになり、反体制がかっこいいという思い込みも消え(これは多くの日本の公務員がどれほど誠実にまともな仕事を重ねているかということを知ったことにもよる)思想的には「左」でもやってることはプチブルという、まあよくある道を歩みながら自分の中の政治の季節は終わっていったのに「週刊金曜日」信奉だけは消えなかった。

マクロビ体験
類は友を呼ぶというべきか、「自然志向」な私はある日知人の家でやる薬膳教室に誘われた。薬膳のメニューは「自然」だしおいしいしで、決して前面には出されていなかったけど先生や知人が何気なくしゃべっている「マクロビ」とか「陰と陽」とかいう言葉を私は何気なく聞き流していた。ちょっとエコ志向のお料理教室ぐらいのつもりでいたのである。問題意識皆無でマクロビと楽しくつきあっていたツケはしかし後できた。

何度か書いたことだが、後年私が肺がんに罹患して臥せっているとき、このマクロビ知人は聞きつけて大量のごま塩を送ってくれたのだった。「肺にはごま塩が一番」という言葉を添えて。これはあかんやろ、下手したら死ぬぞとさすがにボンクラな私でも衝撃を受けた。マクロビってなんなの?こんなことしてていいの?と周りを見てみると、数年前にがんに罹っていた家族の本棚には「がんが治る!」系の本が並び、怪しげな食事療法を取り入れている。自分に火の粉がふりかかって初めて、これはなんとかせなあかんという気になったのはこの頃である。

言語学と「水からの伝言
時間は前後するが、中年になった私は何おもいけん突然言語学に目覚めて仕事を辞め、大学、大学院に進学した。どんな学問でも同じだと思うけれども、私はそこで先人の膨大な知見の集積に圧倒される。言語学は比較的新しい学問だけれど、それでも幾千幾万の血のにじむような努力の集積を目の当たりにすると、先行研究など何も参照せずに思いつきだけで物をいい、目新しいことを言い出したつもりになって怪しい言説を振りまく人にハゲしく怒りを感じるようになった。

しかし「水からの伝言」はそういうレベルの問題ではなかった。これについておずおずとコメントし、自分で「水伝批判に特化したブログ」を作るといって今は放置している旧ブログを立ち上げたのだが、それをいつの間にかアホネタに特化してしまったのはまあよいとして、適当につけたハンドルが著名なホメオパシーの方と同じなのはいかにも居心地が悪く、旧ハンドルはアホブログとともに捨ててしまった。はてなに移ってきて、賢そうなネタを中心に新装開店したのだが図に乗って知ったかぶりして大恥をさらして今にいたるのは御存知の方は御存知の通りである。このつい図に乗って知ったかぶりという穴はリアルでも私がいつも落ちては自分の首を絞めている穴なのだがついまたやってしまう。

ネットの知識に開眼される
さて、前述の通り週刊金曜日にかぶれていた私が「遺伝子組み換えは悪」と信じてネットをさまよっていたところ幻影随想というブログに出会った。言わずと知れた黒影さんのところなのだが遺伝子組み換えは悪なんかじゃないし、むしろそれを吹聴している人こそ問題だということが書かれている。この先はあまりにも恥ずかしいのではしょりたいのだが、実はそれを読んで私は「なんだこの御用学者は」と思ったのである。恥ずかしくて死にたい。

私は「御用学者」が書くことなんかどっか破綻しているに決まっていると思って丁寧に黒影さんの「遺伝子組み換え批判批判」を読んでいった。おかしい、どこも破綻していない。それどころかここで批判されている人たちのほうが破綻しまくっているではないか。こんなはずはない。何度も何度も、読み直し考え直しどう考えても論破できない。遺伝子組み換えに関して黒影さんを論破しようなんて身の程知らずを通り越して豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえとののしりたくなるが、私は本気だったしまじめだった。長い逡巡を経て「自分の前提が間違っていた」ことを受け入れたときしかし、目の前にサーッと展望が開けたのだった。

そのころと前後してたとえばNATROMさんちからリンクされている創造論掲示板でちょちょんまげさんがなんか私が考えるのと似たような素人くさい(失礼)質問をあそこに集う猛者にぶつけてはボコボコになっている(重ねてすみません)のをROMしていたと思う。しかしそこでサンドバッグになってくれているちょちょんまげさんのおかげで私は一緒にいろいろなことを教わることができた。ちなみにNATROMさんちを見るようになったのは私が肺がんなどの病気をして「医療系」といわれるブログを熱心に読むようになったからであってニセ科学批判などとは関係なかったのだが、そういったところから私は、ちょうど言語学を始めたときに先人の知見に驚愕したように、ネットにこれほどの知見が埋まっていることに驚愕して、自分の思い込みを捨ててネットの先人たちに教えを請うようになっていった。

今に至る
そんなわけで、偉そうなことを偉そうに書いているけれども、今もまだ私は日々自分のアホとの戦いである。やはり自分のアホと戦っている同志がもしいるなら、少しでも何かの参考にしていただくことができれば幸いです。