バスケのCMにいらっとする訳(最終回マゾヒスト編)(間違って消してキャッシュより救出)

これね。いろいろ言いたいことはあるのだけど、もういい加減にしとけと心の声が聞こえるので最終回。

なんでこれにこんなにひっかかるのかといえば「つらい思いに耐えている自分は偉い」という自己陶酔と「努力は報われる」という欺瞞を臆面もなく持ち上げているからでしょうね。「誰よりも練習した」というのは「なのに全然成果が出ていない」という現実を考えると全く自慢にならない。努力を認めない、という点においてこそ、スポーツは公平なのだ。遊んでいても結果を出したものが勝つ。報われて欲しいという願望は当然だけど願望は願望であって現実ではない。「下手だけどとにかくワシが出たいんじゃあ!」という気持ちは、これはすごくよくわかる。誰だってとはいわないけどほとんどの補欠はそうだろう。下手だけど出たい、とにかく出たい。はっきり言ってチームの勝ち負けなんてどうでもいいから俺を出せ。で、そのまま引退。確かに得難い経験ですよ。そういうこと考えながらチームの勝利をめざして一体になってベンチを盛り上げた『振りをした』経験は人間に内省を迫らずにはいられないだろう。試合に出られなかったことそのものよりも、自分が出られなくて、やはり出られないチームメイトががんばって声を出して盛り上げている横でシラーとしてた痛みは、本当に得難い経験だと思う。「誰よりも練習した」とか「努力は必ず報われる、と思ってた」とかお花畑でごまかさなければどんなにかよかっただろう。

がんばっている自分を認めたいあまりに「脱落した」仲間を軽蔑した。でもこの道に進んでも先はないと思ったらとっとと見切る勇気がなかった。もっと早く方向転換していればもっとhappyな人生だったかもしれないのに。私は本当に、ある日この全ての経験と自分のマゾヒズムがぴたっとはまっていることに気がついた時、全てが腑に落ちた。世の中の補欠部員がみんなマゾといいたいわけではない。報われない努力を何が嬉しくてやってしまうのか答えが出ないまま考えるのも人生の楽しみに数えられると今は思う。そしていまだにこんな繰言を黙っていられずに書いてしまう自分の古傷をえぐり続けるのは痛くて楽しい。

最後に、totoには私は反対ではありません。随所に書いているように私はギャンブル解禁派だしギャンブルが人生だと思っています。もう負けてるやないかと自ら嘲笑する楽しみもある。吉田もがんばれ。