長い目で見た評判は(送別会雑感)

身辺雑記の3つ目はいよいよ退職の日も近づいて送別会である。

さすがにリアルSM(全然ハードじゃなくてソフトもソフトも激軽でしかも全然具体的な話ではなくて、つまりS/M的に刺激になるような話は皆無だったのだが)の話を職場の飲み会で学生(および先生)達にしたのはKYというか刺激が強すぎたのだろうか。秘書の仕事をやめるということで、送別会でいただいた寄せ書きは「飲み会での話が強烈過ぎて忘れられません」みたいなコメントのオンパレードで、一応世界でも一線級の多忙な研究者の裏方として日々研究室の円滑な運営に尽力していたのに、この研究室での私の位置づけは「飲み会でSMの話をした秘書」ということになっているのがよくわかった。こんなことを書くと職場で特定されるかも知れないが辞めるからいいよ。これから行く方で特定される可能性は現状低いと思うがまあリアルの方が恥ずかしい人生であることには変わりがないので、無難なことばかり書いているこのブログが特定されたところでダメージを受けるほどもとが高いはずもないから大丈夫である。ついでにいうとその追いコンの主役は修了する学生達と私だったのだが、直属の上司である教授からは最初の挨拶で学生に対する奨励はあったけれど私のことは完全に忘れられていて一言の挨拶もなかったのだった。ふだんからフレンドリーではなく仕事以外の会話は一切ない上司と部下だったのだが、私にはそれが非常に快適で、逆に仕事さえしていれば何も言われないので好き勝手に自分のペースで仕事もできて教授とは会話は何もないけれどうまくやってきたつもりである。私は、どちらかといえば、出張に行くたびにお土産を買ってきてくれたりシンポジウムなんかでは途中で時間を取って裏方の秘書に花束をくれたりするようなタイプの先生よりも、優しい言葉をかけられたことなんか在職中一度もなかった教授の方がやりやすかった。最後に忘れられて挨拶も何もなかったというのもこの先生と私とのmatter-of-factな関係を象徴するような「らしい」幕切れでよかったなと思っている。

寄せ書きには「是非ブログを作っていただきたい」と書いてきた学生もいた。事程左様に自分の実態と他人の目に映っている自分というのは全然違うわけで、他人の目を気にして生きていても仕方がない。自分の想像の及ばないところで他人は勝手に自分を判断している。「飲み会で面白い人」というのは彼らなりの婉曲表現だと思うが、五十近くなってそのキャラでいいのかというのはともかく、人間関係についてもその他のあらゆることについても不器用で端的に言ってアホな自分をとことん晒すことはなく、まあまあ無難な仮面をかぶってここも終われたなというところに少しほっとしている。

私のスピーチは、酔っ払っていたせいか非常に好評だった。しかし酔っ払いながらウケ狙いに走っていたようでどうでもいいネタばかりをしゃべってしまった。本当はこういうことを言うつもりだったのである。

大学院の本命は受かったのだが併願していた別の大学は落ちた。これは落ちたほうを実力と弁えるべきだろう。その面接でボコボコにされた、自分が立ち往生した指摘の数々を肝に銘じて、今後の人生の最大の敵−自分のアホ−と戦っていきたい。

Long-term reputation would be built not on the occasional inspired goal, but on hours of dedicated research, combined with good judgement.
長い目で見た評判というものは、たまたまのひらめきによる成功ではなく、適切な判断に沿ったひたむきな調査研究によって築かれるものである。

Jeffrey Archer

ということで、次に行くところでは「飲み会で面白い人」のような評判を築くようなことはないように、とにかくはったりは全部やめて、まじめな努力家のポジションを獲得すべく精進を重ねたいと思う。