私たちはフィルターではない

この他人事みたいな記事の話

支持者の男性9人に「かわいいね」「ありがとうね」と迎えられ、ワイン片手に選挙の情勢を語る

これ、事実だったら36歳の衆議院議員に「かわいいね」とか言ってる支持者がかなりどうしようもないと思うのだが、記者は現場にいてそれを見たのか?適当に作ったのなら支持者は怒っていいレベルで、導入としてひどい。本当にこう言ったのであれば議員は自分の支持基盤をまずどうにかすべきで酒以前の問題だと思う。

夜の活動は、出産や育児との両立の問題を生む。ほかにも、セクハラの温床にもなる。複数の女性議員が「当選する前は、飲み会でセクハラされても文句は言えなかった」。少数派の女性というフィルターを通すと、政策本位と対極にある日本の政治土壌が見える。

我々はフィルターではない。あなたたちが見えていない『日本の政治土壌』を見えるようにするための道具ではない。「女性というフィルター」を通さない(なんでこんな間違いしてるんだ)とこんな目の前で何十年も続いてきた政治土壌が見えないならジャーナリストなど廃業してはどうか。出産や育児を女性の問題だとしか考えていないから「フィルター」がいるのだ。男性議員の育児に全く頓着せずに、女性議員だけの問題みたいにとりあげて、しかも考える主体は男性だという前提があるから「女性というフィルター」とかシレっと他人事みたいにいえるのだ。そんなもん通さずに自分の目で物事を見たらどうなのか。

あなたがいう「飲み会文化」を築いていたのは基本的に男性社会だけれど、36歳の女性議員だって好きで行っている訳ではないかもしらんが議員である以上は、それを担っている側の社会的責任もある。女性だからいやいや付き合わされているだけではない。女性であろうと議員であれば自ら困った社会は変えていく立場にあり、支持者にはお願いされる側の立場にいる。オッサンにつきあわされる気の毒な女性とは限らない。何がいいたいかというと、女性が大変だし気の毒だし家事と育児にも影響あるから変えましょうじゃないだろう、ということ。「飲み会文化」が問題なら、いちいち少数派のフィルターがどうのとメタの視点を気取らずに、みずから正面から切り込んでいけばよいではないか。女性をダシにするな。

「妻が選挙や地元の活動を支えている男性をうらやましいと思うか」

なんやねん、この設問は。性的マイノリティのことなんかなんも考えてへんのもまるわかり。

そもそも「飲み会文化」を前提に女性もそれに適合できるようにパートナーの意識を変えるべきなのか。飲み会をまわってハシゴしないといけない状態を「文化」とかいってる新聞記者の意識を真っ先に変えるほうが先ではないのか。私的な場では日付が変わるまで飲み歩こうが路上でキスしようが他人がとやかくいうことではない。しかし政策や『ポストにもつながる』話がそういう場でまわっていることを「文化」として肯定する、こういうメディアが『少数派の女性というフィルターを通すと、政策本位と対極にある日本の政治土壌が見える』とか片腹痛いわ。

念のために言っておくが「フィルターを通す」という慣用句を知らない訳ではないよ。いちいちフィルター扱いされるのが不愉快ではあるけどね。通さなくても目の前にはっきりあるんだから見えるだろと言っている。自分の言葉で語れよと言っている。繰り返す。私たちはあなたが考えるためのフィルターではない。自分の社会のことは自分で考えていただきたい。