毀誉褒貶はその人のもの

この件に関連して他人の発言などを批判したり言及したりする時の自分のスタンスについて現時点での覚え書きです。

例えば橋下徹氏とか山谷えり子氏に対して、とても看過できないような言説が投げつけられた時、それに対して批判的なことを書くと、それへの再反論は歓迎なんだけど、単なる感情的な反発みたいなブクマなんかも結構くる。それは日頃自分があまり政治的な話題などに言及しないので、日頃問題意識ももってないで、橋下氏や山谷氏の言動を批判もしたことない奴が何いってんだこの野郎(野郎じゃないけど)みたいな反感もあるのではないかと、これは単なる推測だが、思う。

私は特に必要がない限り、たとえば橋下氏に対する差別的な言辞を批判する場合に「私は反橋下派ですが」などとは書かない。橋下氏の政策に積極的に賛同したことは一度もないが(念のため、私が知らないだけでよい政策もあることを否定するものではない)それと彼に対する差別的な言辞が許容されるかは全く別問題であってそれを論じる時にいちいち言及する必要はないと思っているから。同様に「私は日頃の菊池誠氏の発言や行動を基本的に支持するもので、今回のツイートが出てきた経緯や意図についても文脈を把握しているつもりですが」などとはいちいち言わない。言わなくてもわかっている人はわかっているし、私のことなんか知らない人には、むしろ「そういう前提」をもたない裸の発言を見てもらった方が先入観なしに発言そのものを見てもらえるから。

という訳で、今回の件に関しては、まず明らかに日頃のフクシマとかいうなという主張とフクシマ人というタグは相容れないと思うし、皮肉や揶揄や冗談やネタだとはっきりわかるとしてももともとの差別的な言辞に含まれる不愉快さが軽減される訳ではない、少なくとも私には非常に不愉快だと最初の段階で思った。さらに「意図はわかるけど不愉快だ」という指摘がかなり早い時期から入っているのに「わからんお前らがバカだ」みたいな(菊池さん自身ではない)発言に対しては、そんなことを言われる筋合いはないといわざるを得ない。反論や指摘が寄せられた時に相手がわかっていない前提に立ってまず貶めるというのはどうなの?という感想を抱くのは、先に例示した橋下氏や山谷氏に対する言説批判とも重なる。この件についてのみの個人的な感想を付け加えておくと、こういうのを「大喜利」とかいわれるのも不愉快です。面白くないし。まあそれは、別に一般論をいっているつもりはない。わしが嫌だというだけです。

で、タイトルの一般論について、私はたとえば菊池氏が「迂闊」だとか「脇が甘い」とかの理由でとやかくいうつもりはない。というかそんなことは知ったことではない。大学教員として非常に影響力があるという点の自覚を持てとかバッシングしてくる人に口実を与えるなとかは第三者の勝手な希望であってそのとおりに振舞う必要なんかない、勝手にしていただければよいと思っている。そうしてその言動を注視して支持できると思えばするしできないと思えばしない。ある発言については支持できるが別の発言は支持できないこともあるのが当然で是々非々で評価するしかない。勿論一般論だと断っているとおり、菊池さんに限った話ではなく自分はそういうふうに考えて記事を書いたりブクマをしたりしている。

例えば、罵倒表現を私は好まないし、それを多用する人の評価は高くない。それはどんなにまともなことを言っていても言ってる本人がバカに見えるのと説得力を下げる働きしかしないから。そして不愉快だから。でも別に批判はしない。その人が勝手に自分がバカに見える道を選び、勝手に説得力を下げる道を選び、人を不愉快にさせる道を選んでそれでも言いたいんだろうから勝手に言ってろと思うのみである。言ってる内容自体がまともでその論敵の方が言葉遣いは綺麗でも言ってることがめちゃくちゃな場合は言説自体は評価する、つまり私は言葉遣いは人に対する評価で言説の評価とは二本立てでやっているが、まあリンクしていることもある。方針として人に対する評価はあまり表に出さないことにしている。「お気に入り」を一人も登録しないのもそういう理由による。

そういう自分は罵倒しないのかといわれればそんなことはない。レッテル貼りも嫌いだけれど、揶揄目的でちょっとこれはどうなの?という発言をすることもある。但し、それに対する批判や「あ、この人こういうことを言う人なんだ」的な幻滅を与えるとかそういうことは引き受ける。自分の評価を下げるリスクを犯しても罵倒したい時に罵倒しないとは言わないしするなとも言わない。それで友人に去られたらそれまでのことだ。もとより聖人君子ではない。失言のない人などいないと思うしその毀誉褒貶を自分で引き受ける気さえあるならば、問題外の誹謗中傷を除けば何を言ってもよいと思っている。

ただ個人的な希望はある。「フクシマ」という言い方を今まで無自覚に用いてきた人こそ誹謗中傷してきたではないかという実例を私も見てきた。それと外からは同じにしか見えないことを今まで批判してきた人がするというのは、あくまで個人的に残念でならないと思う。