ハゲは命題か

さて、論理的とはどういうことかをぼちぼちと探るにあたって、ここで概念を一つ導入しましょう。「命題」ってやつです。

命題ってのは、関数なんです。関数ってあれです。y=2x+1とかあれ。xに具体的な数値を入力してやるとyが1つに決まる。そんな中学校でやったとか昔のことは覚えていないという方も心配はいりません。たとえば自動販売機を見てください。

100円いれて青いボタンを押すと冷たいコーヒーが出てくる。あれはつまり、「100円入れて青ボタン」を入力してやったんですね。そうすると必ず冷たいコーヒーという出力がある。コンピューターの表計算ソフトなんかでも同じです。なんか入力してやる。すると1つの答えを返してくれる。これが関数というやつです。

命題というのも非常に単純な関数で、何か具体的な文を入れてやると「真」か「偽」かどっちか、2つに1つの答えを返してくれます。

たとえば、命題関数に「S氏はハゲである」を入力すると「真」という答えを返してくれます。(もしS氏がハゲなら。)「N氏はハゲではない」を入力すると「偽」を返してくれます。(もしN氏がハゲなら。)では「ハゲ」を入力したらどうでしょうか。ハゲ!は真でしょうか偽でしょうか。

ハゲ!だけでは真なのか偽なのかわかりません。このように真偽を1つに決めることができないものは命題ではありません。命題とは「真偽を1つに決めることのできるもの」です。よって「ハゲ!」は命題ではない。

前回までで、論理というのは中身を見ないで形を見るのだという話をしました。でも論理が見る形ってなんなのさといえば、この命題と命題の結びつきの形、これが論理が見る形なのだといえるでしょう。

たとえば、「ハゲでないならモテない」という命題をみてみましょう。これは命題ですね。実際にハゲがモテるのかモテないのかは関係ありません。どっちでもいいんです。どっちにしてもモテるかモテないか、yesかnoで答えられますよね。

待てよ、ハゲだってモテるハゲとモテないハゲがいるじゃん、というのもこの際関係ないのです。今は、この命題が真かどうかを見ているのではなくて、これが命題かどうかを見ているだけですので、「真偽が一つに決められる」「yesかnoで答えられる」だけで命題だとみなします。

論理が扱うのは命題です。だから
カニカニかまぼこは論理的に全然違いますよね」は意味がわからなかったのです。「カニ」や「カニかまぼこ」は命題じゃないから。しかし「カニじゃないのとカニかまぼこじゃないのは論理的に全然違いますよね」のほうが比較的わかる気がするのは、「カニじゃない」という言明は「あるxについてxはカニではない」という命題を省略したものとみなせるからです。

命題とは、何かを入力したら真か偽かを返してくれる関数である。ここまでいいでしょうか?