説得力はありません(がん検診の話)

論理学やらSMの楽しみについて続きを書きたいところなのだが、週明けぐらいまで時間が取れないのでそれは先延ばしにして、がん検診の話を。

がん検診を受けて結果的に生き延びた体験談について先日書いたところ、多くの方に読んでいただいておおむね好意的な反応をいただいた。しかし最初からブックマークで「これも体験談の一例」というご指摘を受けており、ご指摘のとおりであることは記事のコメント欄でも触れている。

触れてはいるし私の体験談が科学的根拠に優先するものではないのは言うまでもないが、ブクマやコメントは読まない人もいるし、この私の記事は明らかに「検診受けたほうがいいよ!」というメッセージを「体験に基づいて」発信している。体験談は体験談にすぎないんだからそのつもりで読んでねと言っても、こんな明らかにメッセージを含んだものを公開した以上、私の記事をもっともだと思って読んでくれた人に対して以下のような情報も提供しておく必要があるだろう。

たとえば国立がん研究センターのがん情報サービスというのは「このがん検診にはエビデンスがあるのか?」というようなことを素人にもわかりやすく解説してくれている。こういうやり方で「この検診にはこういうメリットがある。デメリットもある。この検診に関してはこういう根拠によって受けたほうが望ましい」というのは説得力がある。受けたほうがよいとは言い切れない検査についてはそう書いてある。

それにひきかえ体験談には説得力がない。体験談が悪いというのではない。体験談も大事だと思っているから、その範囲でそれでも意味があると思うから私も公開しているのだが、なんの証拠にもならないという点ははっきり認めておかなくてはならない。方法論としてはホメオパシーの人が「私はこれで治った!」と主張するのと同レベルの稚拙さである。

というのも、こういう問題が起きているということがある。

TBS「余命1ヶ月の花嫁・乳がん検診キャラバン」の内容見直しを求める要望書提出について

問題のキャラバンについても私のように「これで命を救われた」というその人にとっての真実を主張する人はいるだろう。その人にとっての真実を訴えることは、それはそれで意義のあることだと思っている。思っているから私もやっている。ただし、その意義には限界がある。体験談は、現在の時点までで明らかにされている科学的ないし医学的な研究の成果、知識、認識を凌ぐものではないということ、過剰に一般化できるものでもないということである。

という訳で、私の前の記事についていうならば、実際のところ体験に基づいてメッセージを発信しているので、過剰な一般化を読み取られても致し方ない点があると思う。ごめんなさい、単なる体験です、その点割り引いて読んでください。そして、体験談は科学的根拠を凌ぐものではないという認識をはっきりと確認しておきます。

ところで私はマンモグラフィーでもひっかかって、こちらはどうやら偽陽性というやつらしい。念のため、年に1回の精密検査を受けている。この辺の話もやはり体験ベースになるところがあるが、言えないことまで一般化しないように気をつけながらまた触れたいと思う。