もうすぐPならばQ

公開羞恥プレイを兼ねた論理学講座は開講した途端に頓挫したわけではありません。まだ細々とやっています。

前回、命題とは真偽が一つに決まるもの、言い換えれば入力に対して真(しん)か偽(ぎ)かのどちらかの出力を返してくれる関数だという話をしました。ここまできたら「PならばQ」にだいぶ近づいてきています。PとかQは任意の命題のことを言っているからです。「任意の」というのはなんでもいいということです。

さて、私たちは今「論理的」ってなんなの?という話をしているのでした。論理の扱う対象は命題であり、命題ってなんなのさといえば、それは「真偽を一つに決定できるもの」だというところまで来ました。命題は関数なんだぜという話もしたので、せっかくだから「真である」を1で表し、「偽」であるを0で表すことにしましょう。この1と0を真理値と呼びます。

たとえば、「水は言葉を理解する」という命題は偽であるから真理値は0、「犬は哺乳類である」は真であるから真理値は1というわけです。命題Pが真であればPの真理値は1、命題Qが偽であればQの真理値は0です。

ところでこれまでも見てきたように、水が言葉を理解するかどうか、犬が哺乳類であるかどうか、そういう具体的な命題の中身については原則として論理では判定できません。論理というやつは決して自分の領分以外のことについては口を挟まないので、通常、単独の命題の真偽を判定するには生物とか化学とかS氏はハゲているかどうかとか論理とは関係のない知識が必要になります。今、「原則として」とか「通常」といったのは、たとえば「生きている死者」とか「足が10本ある昆虫」みたいな定義上ありえないケースなんかは「論理的にありえない」といえるので、単独の命題の真偽に論理が関与しているケースといえるからです。しかし、そういうやつは例外的で、論理の守備範囲は通常は、命題と命題のつながり方、接続の仕方の部分です。具体的にいうならば「Pでない」「PならばQ」「PかつQ」「PまたはQ」のこれだけでほぼ、論理学の一番最初にやる「命題論理」という部分をカバーすることになります。これに加えて次の「述語論理」というところまで論理学の入門書を読んで理解できれば、ネット上の議論で「あなたは非論理的だ」「そういう君こそ論理を知らない」なんてもめているのも楽しく観戦できるようになります。私のなんちゃって論理学講座の終着点はこの述語論理の終わりをゴールに定めています。このペースでいくと何年かかることやらわかりませんが。

今日は硬い話ばっかしてしまいましたが、次回はこんな話をしましょうってことで予告。以下の文は論理的に正しいといえるでしょうか。

i. Kさんは甘いもんが大好きである。よってKさんは太っている。
j. Kさんは甘いもんが大好きである。甘いもんが大好きな人は犬が嫌いである。よってKさんは犬が嫌いである。
k. 甘いものを控えるなら太らない。Kさんは太っていない。だからKさんは甘いものを控えているはずだ。

やれやれ、もう9月ですかいな。いつまでも暑いなぁ