論理的であることは中身と関係ない

話があっちいったりこっちいったりですみません。ここまでの話をある程度まとめます。

その前に。前回のエントリにいただいたブックマークを見ると、呼んだとか呼ばれてるとか呼ばれてないとかいろいろ言われておりますが、前回のエントリで言及したのは

ハゲでないなら非モテ or
ハゲならモテる

という仮想世界です。いずれにしても、前回のエントリの仮想世界においては、ハゲはもてるのです。すなわち、私が言及したのは仮想世界において
「ハゲ、かつもてる」
人についてであって、現実世界における「単にハゲ」とか「ハゲかつもてない」人については言及しておりません。急いで付け加えておきますが、ブクマコメントをいただいた方が単にハゲだとかハゲかつもてないとか言っているのではありませんので念のため。

さて、あまり余談ばっかりしていると本論がなんだったのかわからなくなるので、今日は一つ一つ、結論からいきましょう。

1.「論理的」かどうかは、命題の具体的な内容を問わない。

命題ってなんなのさ、は次以降のエントリでとりあげますのでここでは「問題になっていること」とでも考えておいてください。これは、最初の疑問、「論理的に全然違うのと、単に全然違うのはどう違うのか」に対する一つの答えです。

単にAとBが全然違うという時、我々はその具体的な中身を検討しなくてはなりません。カニカニかまぼこであれば、値段とか味とか食べ易さとか酒に合うか、弁当に入れられるか等を見て結論を下す。

ところが、「論理的に違う」という場合は、中身に立ち入らずに形だけを見て判定をくだしているのです。何度も引用して恐縮ですが

「反証可能でないものは非科学」と「反証可能なものは科学」は論理的に全然違いますよね。

これと

「ハゲでないものは非モテ」と「ハゲなものはモテる」は論理的に全然違いますよね。

これは、具体的な話の中身は全く違いますが、同じ形をしています。双方ともに、

今話題になっているものが、現実に反証可能なのか非科学なのか、ハゲなのかモテなのかなど中身を全く検討することなく、形を見ただけで前者と後者は「全然違う」と判断できる。要するに

AでないものはBでない、と
AであるものはBである

の2つは別のことを言っているとAとBに何を入れてもいえるわけです。

長くなりましたのでいったん切ります。また明日というと、君の明日は3日にいっぺんしか来ないのかと言われそうなので続きは今日中に。(明日はいっぺんも来たことがないとか、わたし的には死ぬまでずっと今日だとか言うつもりは一切ありません。8月1日中に続きエントリ上げる予定)