SJLL Vol2読んだよ その6

しばらくご無沙汰しておりました。さて、前回

この次の素人から見ると理屈はわかるけど日本語学って変だ!と思わずにはいられない同音異義の話などについて

次回に書くと言ったら、id:killhiguchiさんよりここでの「同音異義」という用語は少し不適切である旨のコメントをいただきました。概念の定義づけをやってるスペースもなく他に適切な言葉も見当たらないのでとりあえずそれを使っておくいうことですね。それで、このコメントについてですが、こっちに取り上げたのでコメント欄の続きでなくこちらに書きますが『これらの副詞は、シヨウ形の終止法では現れても連体法では現れないということが、シヨウ形が推量の意味が出るのは喚体メカニズムのせいではないか、という疑いを抱かせます』というところ、シヨウ形の非終止法は不活性だったんですよね。私にはシヨウ形の連体法の例自体が浮かばないので、副詞に関係なく連体法自体が現れるのかというところがわからないのですがそこはどうなんでしょう。「シヨウ形は尾上が既に説明している。」(p.3)ということで、スペースの関係もあって例文などを削ったとおっしゃっていたこともあり、尾上を読めという話ではあるのですが。レビューだったら尾上を読んでからと思うけど、突っ込みが甘いのはまだ感想晒しの段階なので、と読者が言い訳する。

さて、ここまでの前提として『喚体を、概念のみの形式を投げ出して感動と希望の2系統の用法を出すメカニズムとして捉え』(p.2)『非終止法と重ならない終止法独自の用法(推量・意志・命令)を喚体メカニズムによって出る(推量が感動喚体系列、意志・命令が希望喚体系列)としたもの、と解せる。』(p.2)という方針があった。この方針で進むと4ページの5行目以降、「同音異義」を持ってこざるを得なくなる訳だが、ご無沙汰している間に私もいろいろリセットされてしまったのでここのところさらっておこう。『非終止法と終止法が全く重ならないシヨウ形と異なり』(p.4)、上のコメントについて書いたことと同じで、少なくともこの論考においてはシヨウ形の非終止法は例示されておらず、不活性だとあるのみで全く重ならないことがなんでわかるのかがわからない。次の『太郎が動かない』(p.4)が推量を表さないのはわかる。で、この先に進むとさすがに「概念構成形式」という用語と「承認形式」という用語を全く尾上を読まずに使うというのは、書いているほうもいくらなんでも無理な気がしているのだが、7ページに『形式が用法を過不足なく表す承認形式とそうでない構成形式』とあるのをわかったことにしておこう。なお、4ページで言っている『そうでない形式』は逆で、勿論これはそうでないのがどうでないのかによるのだが、こっちは承認形式である。だからもう、形式と用法の1対1対応が無理多すぎるんだ、と全てをぶち壊してはいけないのでじっくり読んでいこう。

今日はとりあえず生きてますという報告ということであとは余談。尾上先生のご尊顔を拝したことは一度だけあって、10年前の言語学会の夏期講習で講師をされていた。(私は言語学会員ではないがこの隔年の講習は一般に開放されている。)が、すいません、裏番組取ってました。なのになんで尾上先生を覚えたかというと、友人が受講していて、この人は日本語学で「深く尊敬するは言うのに浅く尊敬するはなんで言わないんだ」というようなことを言うので「え、私は○○先生(その人の指導教官)は浅く尊敬してるなあ」などとからかっていた折に、友人が深く尊敬する尾上先生がたまたま通りかかったので覚えたのでした。尾上先生の講義は大盛況だった。裏番組は角田太作先生のフィールド言語学でこちらはフィールドだから手ごろな人数というか少人数で先生に誘っていただいてお昼は受講生全員で京都駅でとんかつを食べたのでした。あれから10年も経ってしまった。徒に馬齢を重ねるとはこのことか。またぼちぼち書きます。