はじめにネタありき

泡坂妻夫が話題になっている。

生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術 (新潮文庫)

生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術 (新潮文庫)

泡坂妻夫は神なので論評なんてできない。ただただひれ伏すのみ。なんですが、ぶっちゃけこれより「しあわせの書」

しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術 (新潮文庫)

しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術 (新潮文庫)

の方がネタとしても軽い小説としても完成度が高い、と思う。

しかし初めて泡坂妻夫を読んでこの一冊でふーん、で終わってしまう人がいたらもったいない。この粋(いき)が服来て歩いている、いや故人だから歩いていたような神様については何を書いても野暮になるのだがあえて布教したい。

泡坂がこの世に送り出した名探偵には、宝引の辰親分、美貌の奇術探偵曾我佳城、苗字が「あ」なので必ず名簿の一番に来るの亜愛一郎、その他その他いろんな人がいるのだが、その中でも一番怪しい、しかも貧相で貧乏な迷探偵ヨギ・ガンジーが出てくる時、それは「はじめにネタありき」のマジックショーになっている。あるいは怪しい超常現象をからかいつつ読者をも煙に巻き、あるいはこの「生者と死者」のような壮大なネタを仕掛ける。ヨギ・ガンジーのシリーズに関していえば、ミステリーとしてあるいは小説としての完成度に比べてネタとしての完成度が格段に高いのである。その点でいえばこの「生者と死者」だって名人芸であり誰も真似できない。ただ、これは上にリンクしたような宣伝の段階でネタが割れている。「しあわせの書」はその点、自分で気づくところに楽しみがあるので未読の人は間違ってもWikipedia泡坂妻夫の項などを読んではいけない。書評のたぐいも避けるべし。「しあわせの書」を通読して「え?これが何?そんなに面白い?」というところからハッと気づいてページを繰りなおし仰天して飛び上がるところまでがお約束なのでまだの方は是非。

怪しさ満点のヨギ・ガンジーもいいのだが、初めて泡坂を読む人にお勧めなのは「宝引の辰」の捕物帳である。この岡っ引きが格好いいのよ。惚れますよ。銭形平次大川橋蔵に限る)なんて目じゃないわね。この辺の短編集から泡坂ワールドに魅せられて本格長編に進むのがお勧めコースで、最初からいろものというかきわもののガンジーから入ると「なんじゃこれは」で終わってしまう人がいるのではないかと危惧する。いや全く余計なお世話なのだが。

代表作を一つ上げるならば、やはりこれで

真剣にミステリー作家を目指していた友人はこれを読んで筆を折った。その人は単なる自信過剰な人だったのだが、世の中には自分が及びもつかない天才がいるということに初めて気づいたらしかった。本格ミステリーである全編にこれでもかと奇術が繰り出され息もつけない。しかも各々の奇術は単独で読んでも短編として読める小説仕立てで披露される。ミステリー作家としても奇術師としても、また何よりエンターテイナーとして一流の筆者の手の内にはまらざるを得ない。奇術好きには必読っていうかみんな読んでると思うが、もうちょっと早く出会っていたら自分の人生ももうちょっと違ったかも(奇術に関して)というようなことさえ思われる。マジシャンになりたかった訳ではないが、マジックのある人生というものをつい夢想してしまう。

そして私の一押しはこの短編集

比翼

比翼

絶版なんですけどね。なんでこういう傑作を絶版にするかなあ。短編「胡蝶の舞」「思いのまま」などどんなに賞賛してもし足りない。「思いのまま」は美しいSM小説でマゾヒストの私としては文字通り悶絶するのだが、そういうマイノリティとか変態とか言われることもある人を対象にした物では(おそらく)なく普遍的な美しさに酩酊できる。

泡坂妻夫の魅力を語ったら際限がないのだが、冒頭に書いたように何を書いても野暮になるのでたくさんある代表作にはほとんど触れていないけれどこれ以上の言及は控えよう。私も実はまだ読んでいない作品もある。人生の楽しみなのであえて読まずに先の楽しみにしているのだが、もはや新作は望めないということが残念でならない。自分の人生も折り返しを過ぎて、読まないままで終わらないように少しずつ楽しみを現実にしていきたいと思う。

泡坂妻夫は神である。異論は認めない。