SJLL Vol2読んだよ その5

推量というやつは絶対怪しい。「きっと動かない自転車」の推量の意味が喚体のメカニズムから来ているのかシナイ形の意味から来ているのかわからないが、私はきっと「きっと」から来る意味!じゃないかと思う。嘘です。思ってません。今思いつきました。

1ページ飛ばしてしまった。3ページにもどって、「スルマイ形には非終止法がない。」「シヨウ形の非終止法自体が現代語では不活性である。」とある。非終止法がないのと不活性なのとの境目はどこにあるのだろう。たまたまこのノートを書き始めたとき、初日に私は「いようといまいと」という例をシヨウ形に推量がない例として上げたのだがこの例はこれでよかったのだろうか。日本語学を全く勉強していないことがばればれ(というか、ばれるというのは最初に勉強しているかもしらん期待がある時であって今回の場合は最初から明らかに勉強していないのだからよいのだ。よくないけど)で書き続けるけど、「彼がそこにいようといまいと私は行く」というときのイヨウとイマイはなんなんだろう。「まず当たるまいが宝くじ買ってみる」みたく、「が」とか「と」に続くやつは終止法?ってことか。だって「当たるまい宝くじ」は言えないしなあ。

有標無標のところはすっと通過する。スペシャリストがいるときにはなんでも屋は出番がないので過去のスペシャリストが出てくるとシヨウ形は出る幕なし。よくわかる。「構成形式であっても、その事態の捉え方に、時間性や相を含めようと思う。」賛成。概念に時間性や相を表すものが含まれると時間や相だけに注目した時には不都合が出てくることもあるのかもしれないが、その事態を観察して含まれてるように見えるならそっちを優先したい。形式に含まれる意味もメカニズムから出てくる意味も選択肢はいろいろあるほうが融通が利いていいように思う、と外野は気楽になんでもいえる。

4ページの4行目ぐらいまで終わり。この次の素人から見ると理屈はわかるけど日本語学って変だ!と思わずにはいられない同音異義の話などについては自戒、いや次回。