SJLL Vol2読んだよ その4

前回の記事にid:killhiguchiさんからいただいたコメントは必読だった。私が。いや、普通に必読だと思うのだけど、そもそもSJLL Vol2を買ってその中のkillhiguchiさんの論考を読んでさらに「ツイッター自由言語大学」の同人誌なのにツイッターやってない私の過疎ブログを読みに来る人という読者像が想定しにくい。ともあれ重要なところをそのコメント欄から引用する。

尾上はその制限を主語の有無と複語尾の有無に求めていたのです。述体=主述構造による文の結成=結成時の統覚作用による複語尾の分出、という図式によって、喚体と述体を截然と分けていました。
 私は、喚体と述体は連続していて間が広いよ、ということ、上述の2つの=を破壊することで言おうとしています。したがって、喚体に主語があってもよいし複語尾があってもよい、と。
 それならば喚体であることはどこに行くのかと言うと、形式によらない意味を出すメカニズムに追いやられるわけです。喚体を名詞一語文や述語のない文などの形式の名前ではなくメカニズムの名前にしたのです。

私は混乱していたようだ。尾上の説の中にkillhiguchiさんが提言される「メカニズムの名前」であることが既に組み込まれているのかと、何しろ読んでないから勝手に、勘違いしていた。それではここでkillhiguchiさんが説かれている「形式から剥離」する必要がなくなってしまうではないか。そうではなくて、尾上は、山田からの流れで、喚体を上に引用したように必要十分条件的に定義していたのですね。そうすると、その定義による喚体と述体の間には当然のようにグラデーションの問題が出てくる訳でそれについてはある程度棚上げにしていたと。

『喚体を名詞一語文や述語のない文などの形式の名前ではなくメカニズムの名前にした』これが尾上は言っていない、この論考によるkillhiguchiさんの主張なわけだ。それをわかってないのに私は明晰でわかりやすいとか言うてたんかい、何もわかってなかったやないか、と1ページ目で早くも判明してどうしよう。ていうか今その4まで書いてるのにまだ1ページから抜けられないんですけど気にしないことにしよう。さて、私は前回にもその感動とか希望とかの意味はどこで担保されるのかということを気にしていたのだが、上の引用を見るとkillhiguchiさんは『形式によらない意味を出すメカニズム』とされているので、この「メカニズム」によって意味が出てくるとされているのだった。

たとえば、英語で語順を入れ替えると疑問という「意味」が出てくるのがメカニズムだとすると、この喚体もsyntaxの問題であるような気がする。あるいは「素材の提示」というそのメカニズムの中枢にありそうなエンジンが一種の構文のように見える。定式化したくなる訳だが尾上のいう(ここ孫引き)『概念の素材形式そのものである名詞を言語場に投げる』という説明をそのまま利用するだけでは「名詞」のとこをいじったとしてもこの「メカニズム」の説明としては弱い。中身はブラックボックスでいいのだけどとりあえず何を入力したら何々が出力されますよを言う必要がある。で、今はその「名詞」とされていた入力するものを、名詞とは限らないと考えるとして『どこまで名詞一語文と同じなのか異なるのかを問う必要が出てきます。』ということでそれをされているのがこの論考だということであります。

それで、述体と喚体の定義のとこには認知言語学的なカテゴリー感を導入して必要十分条件でなくてプロトタイプのある境界のはっきりしないカテゴリーが広がっているみたいにするわけにはいかんのかな。いかないこともないんだろうけど、今はその前にまず何が起きているのかを突っ込んで記述する段階なのだな。そこで私は最初から「投げているのは概念ではないか」という意見にある程度与している。ようだ。次は絶対に2ページ目以降に進みたいと思う。