おおきにを巡る私的レジスター考

ことばカフェの影響かどうか、ちょっとずつ自分の方言をメモしたいと思うようになっている。

「おおきに」を使うようになったのは40歳ぐらいの時で、二度ほど実家に居候していたり別の関西の田舎町で働いていたころだった。その言葉は勿論子どもの頃から語彙にはあったし周りの大人は使っていたのだが、子どもは「ありがとう」だったし特に「おおきに」を使う必要もなかった。故郷を離れてからはますます使う機会はなくなった。

その後中年になって関西の学校に戻った時、主に社会人のコースだったので同年代の友人もいたのだが「おおきに」を使う人はまずいなかったと記憶する。しかしやがて、実家に居候する羽目になって子どもの頃から世話になっていた近所や親戚のおっさんやらおばさんやらと言葉を交わす機会が増えた頃から、なぜか子どもの頃全然使っていなくてそれまでもほとんど使ったことがなかった「おおきに」が口をついて出てくるようになった。

これが自分が日常的によく使う語彙として定着したのは、故郷とは別の田舎町で仕事をしていた時である。その仕事は主に高齢者が客層であり、自身の方言とは異なるとはいえ私には極めてなじみの深い方言で客とも上司とも同僚とも話すうちに、むしろここは「ありがとう」ではなくて「おおきに」でなくてはならない場面が多々でてきてすっかりなじんでしまった。

たとえば、「おおきにすんませんなあ」というべき時に「ありがとうすんませんなあ」は言えないし失礼な感じがする。「おおきにありがとうございます」「おおきにすんませんなあ、ありがとうございます」と加えるならよい。また「ごめんやす」の代わりに「おおきに、まいどう(毎度)さん」とか「おおきに」と入って行ってもよいが「ありがとう、まいどうさん」と入っていくことはできない。「おおきに」は挨拶だが、感謝だけではなくて「こんにちは」「さようなら」「どうもどうも」「ほなまたいつか」などの多彩なニュアンスを兼ねるのである。「ありがとう」にはできないわざである。

今私は関西で道を尋ねたりタクシーに乗ったりしたら必ず「おおきに」を使う。「おおきにありがとうございます」などと丁寧に言うこともある。しかし相手が子どもの時は「ありがとう」である。今の仕事では使う機会があまりないが、たとえば職場の中にあるパン屋でパンを買った時などには言うことがある。

言語学レジスターという概念がある。使うのに場面や状況を選ぶ言葉とでもいうべきか。(追記:このレジスターの説明はよくない。後で直したい)同じ人が使う言葉でも、上司にしゃべる時、家族とくつろぐ時、見知らぬ人と話す時、ネットで会話する時など語彙やアクセントやイントネーションや文法までそれぞれ異なったセットをもっている訳で、方言の用法はレジスターの概念なしに説明するのは難しいのではないか。

田舎町の仕事では公的な場面でも「おおきにすんません」などを頻繁に使ったのだが関西の地方都市で相手は関西人とは限らない職場では「おおきに」は私のレジスターから省かれているらしい。しかし職場内のパン屋はいわばプライベートな設定なので「おおきに」が出るぽい。

今はフォーマルな場面だから「おおきに」はやめようとか、この人は生粋の滋賀県民で方言しかしゃべらないじいちゃんだから偉い人でも「おおきに」だ、とかそんなことをいちいち考えているわけでは勿論ない。頭の中にいるらしい小人さんが勝手に仕分けしてその場にふさわしいと判断する語彙と語法を指定するので私はロボットのように与えられたレジスターでしゃべるのである。子どもの頃全く使っていなかった語彙が大人になって使う機会が出てきたとはいえ母語として自分の口から出てくるのも不思議なことで、ある日そうだ私もおばちゃんになったから「おおきに」を使ってはどうかなどと思った訳でもない。でもふさわしいとかふさわしくないとかの価値判断は私がしているのに違いないのである。でも言葉は勝手に出てくるのである。

オンライン麻雀の時間なので本日はこれにて。(いつか続くかもしれない)