アキレスと亀またはお返事のお返事のお返事のお返事

ひえたろうさんからお返事のお返事のお返事をいただいた

::::今までの経緯(ひえたろうさんのエントリの一部を借用させていただき、必要なところは改変しました。):::::::::

話の発端となったエントリ
・ひえたろうさんのエントリ「「モテる女子力を磨くための4つの心得」が胸に痛い><」
・それに対する私のエントリ「でもぉ、それってぇ、使えるしぃ><」
・それに対するひえたろうさんのエントリ「【オムライス文書】関連エントリの、足りなかった説明」
・それに対する私のエントリ「お返事のお返事」 
・ひえたろうさんの「お返事のお返事」に対するお返事エントリ「【オムライス文書】ばらこさんへのお返事

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だんだん前置きが長くなってきましたのでなるべくちゃっちゃといきます。心の叫びは《》に入れます。

その違いは、「裕木奈江」的なテクニック(※)を使う女性を憎悪(「叱責」ではなく)する女性が一定数いるということを認めているかどうかだと思う。 
(引用者注:※については引用先をご覧ください)

私は「一定数いる」ことまでは否定しておりません。叱責じゃなくて憎悪する女性が一定数いることを認めても構いません。いたっていいんだけど『あれを書いたのがそういう女性』ってとこを「当然の前提」にされてるところにひっかかっています。

ひえたろうさんは『「オムライス文書」の筆者女性説』の根拠として、次の一節を挙げられました。

そういうキャラクターにするとほぼ絶対に同性に嫌われますが気にしないようにしましょう。

私はこれはネタの一部分と考えています。いわば「同性に嫌われる女性」神話です。(現に嫌う人、嫌われる人が一定数いるとしても神話は成立するのは、あらゆる偏見に現に該当する人が実際にいるのと同様のことと考えます。)

これがコロッと引っかかる男性をdisりたいだけの文章なら、「同性に嫌われます」という1文が入る必要は全くない。

そうでしょうか。私は全くないとは思えません。「女性に嫌われる」のが仮想「裕木奈江」キャラクターの一部だと考えればこの一節を挿入するのはキャラの完成のために必要なことだと考えます。「誇張された裕木奈江キャラ」にいささかのリアリティをもたせる効果もあります。キュンキュンキュンキュンだのぷんぷくり〜ん(怒)だけでは、あまりにみえみえですからね。

さらに、私は「これがコロッと引っかかる男性をdisりたいだけの文章」である以前にウケ狙いのネタだと思っているので、面白けりゃ書くと思いますよ。同性に嫌われたほうが状況としては面白いもの。

むしろこれだけ凝ったネタで笑いを取りに来ている人が「女性に嫌われる」の一節で筆者の素性をネタばらしするはずがないと思います。「こういう女の子って女の子に嫌われるよね」っていう思い込みまでコミでからかっているのではないでしょうか。

……意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけオムライスを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「慣れた」、「そんなこと言ってない」と言っておけばOKです。

ここも単にネタの一部だと思います。ひっかかった魚に餌はいらないというわけです。

ひえたろうさんに倣って自分(ばらこ)の発言を斜体にします。

裕木テク」を駆使する女性をも叩いているのか、あるいはむしろ女性を叩いているのか、それは解釈次第だと思います。どちらでもないかもしれない。いずれにしても仮に女性をも叩いているとしても私はだからといって女性筆者と見る根拠にはならないと思います。筆者の性別によって書く内容に差が出てくるはずとひえたろうさんはお考えなのでしょうか?私は筆者が男性か女性かは関係ないと思っていますし、どちらであっても「裕木テク」と「標準テク」は、本質的に同じものであって使わざるを得ない状況は理解されうると思っているので、背景として「裕木テク」使用者への蔑視や憎悪を前提する必要を認めません。

 というけれど、ことこの話に関しては、私はまさに「筆者の性別によって書く内容に差が出てくるはず」と考えている。
 前述どおり、こういう「裕木テク」に対して男性はあまりに無頓着で、これが「同性に嫌われます」という視点はほとんど持ち合わせていない。
 そして同じく前述のとおり、これがコロッと引っかかる男性をdisりたいだけの文章なら、「同性に嫌われます」という1文が入る必要は全くない。
 となると、必然的に筆者は女性しかないでしょうというのが、私の見解。

全く同意できません。

こういう「裕木テク」に対して男性はあまりに無頓着で、これが「同性に嫌われます」という視点はほとんど持ち合わせていない。

「男性は」というところ(つまり「同性に嫌われます」という視点を持ち合わせているのは女性だろうという前提)が過剰な一般化だと思います。現にひえたろうさんは男性ですが自分なりのフィールドワークの結果、そういう視点をもっているわけですよね。ていうか、それ(「裕木テクは女性に嫌われる」)はそもそもひえたろうさんが分析し考察したことですよね。「オムライス」を書いたのはひえたろうさんみたいな、つまりたとえば裕木奈江はなんであんなにバッシングされたんだろうといろいろ考えて、ああいうテクが嫌われるんだなと推測した男性かもしれない、とは思いませんか。あるいはなんでみんなあんな手口にひっかかるの?とイラついている男性というのはどうですか?私は、後述のとおり、そこまで筆者の動機を推測する必要を認めていませんが、可能性はいくらもありうると思います。

一方、私は女性ですが「裕木テクの使用者が同性に嫌われる」という視点を持ち合わせていない、と言っていいでしょう。嫌う人もいるかもしれないけれども、私は、女性をとりまく状況から考えて理解されうることだと思っています。しかし、「女性に嫌われる女性」をネタのために演出しようという状況なら、「オムライス」のようなステロタイプを考え付くかもしれません。あんなに芸はないですけどね。

いずれにしても私は「オムライス」を書いた人は一種のポジショントークをしているのであって、別に心から男(もしくはプラス女)をdisっているとは限らないと考えています。私は『「オムライス」はアホな男をdis説』を取りますが、それが筆者のプロフィールと何らかの関係があるとは全く思えません。ひえたろうさんが根拠とした一文は単なるネタであって男女を問わず発想しうると思います。さらにネタであるからして、筆者が自分の思想をそのまま書いているとは限らないと思います。アホな男をdisったれという男がいても何もおかしくない。もしまた、現実の「裕木テク」の使用者が書いていたって構わないわけです。案外恋愛のプロフェッショナルのエビオス嬢は実在するのかもしれません。「オムライス」は毒に満ちた文章ですが「戯画化された女」「戯画化されたそれに釣られる男」に加えて、まさにひえたろうさんの最初の指摘どおり、メタぶって他人事だと思って笑っている私達、私やひえたろうさんのような女や男たちをもからかっているのかもしれない。繰り返しますが「誰を」どうからかっているとしても、私は「誰が」それをしているかはわからないし、わかる必要もないと思っています。

ということで、ここまでの話はもう見解の相違で終わらせていただいても構いません。最初よりはずいぶん噛み合ったと思うので、丁寧に対応していただいたこと(エントリの二倍か三倍の文章を書かれたそうなので、ずいぶんお時間をとらせたことと思います。)に感謝しています。

ところで標題のアキレスと亀がなんの関係があるのよ?という点ですが、ひえたろうさんのお返事をいただく前に、私はフライングで下記のようなお返事を書きかけていました。

昔の清水義範は面白かったよなーと思いつつパラパラと角川文庫「アキレスと亀」を読んでいたら、標題になっている短編のテーマが先日からここで話題にしている「オムライス」問題とほぼ同じなので笑ってしまった。書かれたのは80年代後半である。
アキレスと亀 (角川文庫)

これは教えたがりの先輩社員の男と新入社員の女性という設定で、全然違う話だけど、たとえば清水義範(男性)だったら「オムライス」を書いてもなんの違和感もないと思いますがいかがですか?清水義範をあまり読まれていなかったらごめんなさい。私のお勧めは短編集「深夜の弁明」所収の「シャーロック・ホームズの口寄せ」という短編で、あまりのオチの鮮やかさに20年以上昔だけどはまりました。(ただし、オチは今40代以上の人限定)最近の作品はほとんど読んでいません。
深夜の弁明 (講談社文庫)
閑話休題

最後のところ、この件についての最初の私のエントリで「反論してくださいよ」と言及した件について

で、男性の場合であれば、まあ卑近な例を挙げれば『機動戦士ガンダム』の話みたいな、女性にはあまり興味を持たれないような(でも自分は好きな)ことについて女性が興味を示してくれるとそれだけでとてもうれしいというのはあるもの。女性だってそうなんだろうと思うよ。

 「反論してくださいよ」っていうけど、「興味がないなら興味のあるふりなんかするなっっ!」なんて言える人なんてそういないと思うけどなあ。

そういう反論をしてほしかったわけじゃないんですけどね。まず「女性だってそうなんだろう」であれば「積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです」なんて殊更「男」を出す必要ないですよね。「女だってそうだろ」と反論してほしい。

あとは、個人的な事情としては、私はこの「前のめりで男の話に興味を示す」テクを、異論は受け付けますが、標準装備してると思ってます。これは好きでやってるんじゃなくて、小さい頃からそういう風に社会に教育されてしまった、つまらない話でも目をキラキラさせて聞くのがデフォになっちゃったんです。自分でもヤなんだけど。だから、すげーくだらねーバカじゃねーの、面白くねーという話でもつい癖で前のめりで聞いちゃうんです。でも、それ社交辞令なんです。だから、見分けてほしい。本当に目の前のこの人は私の話に興味をもっているのか。単に社交辞令で楽しそうにしてるのか。勿論これには、「興味がないなら興味のあるふりなんかするなっっ!」でもいいんだけど、「そんなつまらん話はしとらん!」と啖呵切ってほしいところ。まあ、これは私の自業自得なんですけど、私としては気づいたらこんな風に教育されちゃって生きてきた社会にも少し責任転嫁したい。その延長線上には、やはりこのテクもオムライスも裕木奈江もグラデーションでつながっているんじゃないかという思いもあるのかも知れません。

ひえたろうさんの描かれた構図について私があさっての方向へいっちゃったことについては、前回お詫びしたとおりですが、「裕木奈江バッシングはなぜ起こったか」についてはご参考までに、知人(女性)と私がこの件について話したことを書き添えます。あれは同属嫌悪ないしはミソジニーの一種ではなかろうかというのがその方の意見で、私もそうかも知れないと考えています。私は「叩く側」と「叩かれる側」がクリアカットに分断されているとは考えていないので鏡の自分を、あるいは自分の醜悪さをいっそう際立たせた誰かを叩くという心理状態の方がわかる気がします。勿論これも仮説の一つです。

ということで、私は議論してると寝食を忘れるので(たぶんそれは楽しいってことなんだと思うけど、この熱意は決して仕事や勉強には向かない。)いつまででも続けていただいても結構ですし、また常識的に考えてこの分量の文章をやりとりすることは時間を食いすぎるので適当に打ち切っていただいても結構です。見解の相違が明らかになったならそれは成果といえると思いますし、まずはここまでおつきあいいただいたことに深謝したいと思います。ありがとうございました><

《心の叫びを挿入するところがなかったよ><》