『大雑把な菊池さん - Interdisciplinary』へのブクマの続き

これはこの記事につけたブックマークコメント
の続きです。

rosechild:理想としては誤解を招こうが不用意だろうが不親切だろうがなんでも好きなことを言っていただいて、失言や迂闊な発言などについてはその都度批判、反論をしていくしかないと思っている。しかし(以下後で書く)

(承前)それを、すなわち「その都度批判、反論していく」ことをこの件に関して極めて精力的に、建設的に行っているのは誰あろうublftboさん、TAKESANさんである。

信頼できる論者の失言だの適当な物言いを許容するためには、周囲が適切に批判し反論しよりよいものを提示していくことによってその見解の質を担保する必要がある。不用意な発言をしない人なんかいないんだから、お互いに批判しあっておかしな点は議論していけばいい。

問題は、多くの人は批判も反論もしないでいながら「その都度批判、反論していくしかない」などと寝言を言うことである。いや多くの人じゃなかった。それを言ったのは私です。勿論誰にも何かを批判をする義務はない。しかしその都度批判、反論しろというなら実際にするべきである。それをしないでいながら、実際に批判も反論も行っている人が別の提言をした時に「いや発言は自由にしていただいて批判すればいいじゃん」とかいえるのか。いうのは勿論自由だけれども、実際やっても世界が変わらないから他の方法も試みる必要があるんじゃないかという提言として耳を傾けるべきではないか。

予断になるがTAKESANさんにとってはブクマ等で指摘されていることはほとんど先刻ご承知のことだろう。でも実際に世界が少しでもましな方に近づいていかないのであれば、あくまでもメリットとデメリットを差し引きした選択の中で「控えるべき」というのはぎりぎりの強い表現なのではないか。当然その後ろには個人の信念なりモラルや考え方があるのであって「こうあるべき」という世界像が個人で異なっているのは前提である。今はバラバラの信念の中である程度問題意識を共有できる場合の話をしている。

蛇足ながら私は当該の菊池さんの発言について現時点でははっきりした意見を持っていない。当該の発言を迂闊だとか失言だと言っているのではない。そして、ブクマに書いたとおり一般論として発言者に自制を求めることはできる限り避けたい。しかしそれを避けるのであれば自ら積極的に、避けてもデメリットがメリットを上回らない状況を作ることに貢献するべきだと思う。それが必ずしも反論や批判という形をとる必要はないけれども。

当たり前の結論をとってつけると自分が言っていることには責任もてということで、ブクマするって楽だけど実際に他者の発信を丁寧に批判的に検討するとかは面倒で、TAKESANさんの問題提起はやるべきことをやっている人がそれを言っているという点において、それだけではその論の正しさまでは保証しないけれども、説得力が高いと思う。

以上長すぎるブクマの続きでした。

アクセントつけてみたん(前半)

(音声ファイルは削除しました。いずれまたある程度公開できるようなものを作りたいと思っています。)

先日アクセントつけるゆうてたネタに簡単にアクセントつけてみたん。高いとこがHで低いとこがLなん。ほんで京阪アクセントと違うぽいとこには色つけてみたん。もっと違うとこようけあるんやろけど京阪の方がわからんでとりあえず目に付くとこな。イントネーションによっても高さは変わるんやけど、まあ大体こんなもん。暇な人やあたら朗読してみて。

ほんまゆうたら LLL HLLL
まいどまいど LLH LLH
自分の方言で LLLH HHHHH
ブログ書いたり HLL LLHL
したいんやけんど、HLLLLHLL
なかなかさあちゅうても HHHH HLHLLL
でてこんもんやし、HHLLHLLL
ふだんはまあ、HLLL HL
関西弁ちゅうんか、HHHHHH HHLL
関西の言葉をつかうてゆうても HLLLL HLLL HHHL HLLL
大阪あたりの人らがつこてやあるのを HHHH HLLL HLLL HHHHHHLL
まねしてるんやけどな、HLLLHHLHLL
ほんでも私の育ったとこは HHLL LLLH HLLLHLL
けっこう滋賀県の中でも言葉が珍しいちゅうて LLHL LHLLL LLHL HLLL HHHLLHLL
専門家でもときどき HHHHHLL LLLH
研究してやある人もやあるんやけど、HHHHHHHLL HLL HHHLLLL
どうしてもな、LLLHLLH
ほこの人でない人が書かあた文ちゅうのは、LLL HLLLH HLL LHLLHLHHLL
ネイティブが見たら HLLLL HLL
こらちゃうでと思うことが多いわけでな、HH HHLL HLL HLL HLL LHLL
ほんでまあほういうプロの研究を見ても HHHHL LLLH HLL HHHHH HLL
ちょっとこれちゃうやろと思うことが HHL HH HHLLL HLL HLL
ちょいちょいあるんやわ。LLHL LHLLL

ほやけどこの本は、HLLL HHHLL
プロの研究ちゃうけど HLL HHHH HHLL
ほのネイティブチェックちゅうのが HH HHHHHHL HHLL
ものすごいきとどいたるんLLHL HHHHHHHH
著者はネイティブちゃうんやけど、HLL HLLL HHHLLL
いやもと彦根の人やさかい HL HL HLLL HLL HLL
滋賀県人としてはネイティブやけど LLHHLLL HLL HLLLLLL
彦根では使わあれん HLLLL HHHHHH
湖北の言葉をようけ収録しとかあて、HLLL HLLL HLL HHHH HHHLL
ほの点に関してはネイティブちゃうんやけど、HHHHH HLLLL HLLL HHLLLL
ほんでも明らかにネイティブが HHLL LHLLL HLLLL
確認しとかあるていうのが HHHH HHHLLL HHLL
ようわかってな、HL HLLLH
研究書でもないのに HHHHHLL LLHL
これはえらいもんやと思いますわ。HHH HLL HLLL HHHHHL
ほんでこれたまたまなんやけど、HHH HHH HHHHLL HLL
アマゾンでみたってもろたらわかるけど HLLLL HHHHHLLL HLLLL
この表紙のイラストな、HH HLLL LLLLH
これ描いてやんすの私の友達やわ。HH LLLHHHL LLHH LLLLHH
友達ちゅうても HHHH HLLL
もう30年もおうてへんけど HH LLHLLLL LLLHHLL
中学高校も一緒やったし LLHL LLLHL LLHLLHL
昔はようしゃべったし HHHHHL HLLLL
ほんでほの頃からこの子、HHH HHHHHH HHH
て今はおっさんになってやんす訳やけど、L LLL HHLLL LLLHHH LHLLL
この人は絵(えー)がうまかってな、HHHHH LLH HLHHHL
イラストみたいなもんも描いてやんたのに LLLL HLLL HLL LLL HLLLL
今のこのイラストに当時の面影があるんよ。LHL HH HHHHH HLLL HHHHH LHLL
懐かしいわあ、今どうしてやんすやろ。HHHLLHH LL HHHHHHHLL

後半もするかもしらんの。

英語ネイティブに通じなかった発音間違いを晒す(方言で)

ちょっとしたネタみたいなもんなら方言で書いてみてもいけるんちゃうやろかとふと思いついたんでいっぺん書いてみますわ。

私は今仕事で英語はある程度できなあかんのやけど、実際最低限はできるさかいに今の仕事させてもろてるんやけど、仕事やら勉強で要求されるレベルから考えたら実力はひどいもんですわ。特にひどいのが発音。誰かて訛りはあるんやし何もネイティブなみにせんならんことはない、通じたらええんやから日本語アクセントは堂々としてたらええというのは一般論としてはほうなんやけど、私の場合は発音が悪うて通じんのですわ。文字通り話にならん。ほんであんまり発音がひどうて通じんかった時には何が悪かったんか時々メモしたりしてたのを集めたネタ箱があるんでちょっとほれを晒してみますわ。ちゅうのは、同じ間違いしてやある人がやあって参考になるかもしらんし。これから挙げるのは、日本語訛りがあって通じんかったんではのうて、そもそも発音を間違うてローマ字読みなどをしてたもんで全然意味わからんようになってもたケースが多いです。私の発音はカタカナ表記しますさかい正しい発音は知らん人は自分で調べとくなあれ。ほな早速

whale ホエール 
大洋ホエールズちゅう球団がありましてな。whaleはホエールやと思うてた日本語話者は多いと思いますで。ほんでこれは私が悪いんでなしに大洋ホエールズせいやと思います。

[ ] ブランケット 
それは毛布や

pronunciation プロナウンシエイション
プロナウンは代名詞な。発音は代名詞ちゃうし

procedure プロセデュア
しかもデュにアクセントつけてたでたまで通じんかったわ。これは恥ずかしながらついこないだまでやってましてなあ、海外からきゃあたお客さんには?ていう顔されて、もっぺん力一杯発音したんやけど通じんかって、しまいに文脈で先方がわかってくれやあたけど。ほんでこの単語職場では頻出やさかい数え切れんほど今までも使てたんですわ。ほんで私の周りの人は誰一人指摘してくれやあれんかった。発音ていうのは指摘しにくいもんやから、明らかに間違うてても誰も教えてはくれやあれんでということを前提にしとかなあかんわな。自分かて他の人の発音間違いみたいそうそう指摘できんわな、自分も日本語英語やしよ。

vowel ボエル 
これは発音しにくいからしゃあない。気にすんな。いやおまんは気にせえの。

diphthong ディプソング
p見たら反射的にパ行にしてまうやんなあ。hは無視や、無視。

niche ニッチェ
英語ぽうないのは絶対勝手読みせんと最初の時点で発音を調べとかなあかんわな。特にフランス語とか元の言語も全く知らんのにローマ字で勝手読みしたらほんまどこの言葉でもないもんができる。

chutney チャツネ
カレーに入れるすっぱいやつ。これも外来語やから日本語としてはチャツネでええんやろけど、英語には英語の外来語としての読みがあるわな。

Thursday サーズデイ
木曜日というてるつもりやのに相手に「は?土曜ちゃうで、木曜や」「え、今木曜ちゅうたんですけど」「いや土曜ちゃうちゅうてるやん!THURSDAY!」「サーズデイでっしゃろ?」「違うっちゅうに!」ということになる日本語話者あるある(か?)。文脈によっては深刻な間違いになるさかい発音に自信ない人はちゃんと練習しといた方がええと思う。ポイントは母音と、zとdの間に母音を入れてまうと聞き取ってもらえへん度が上がります。
 
cappuccino カプティー
これは言語学でいうところの過剰修正というやつで、かたかな英語ならカプチーノでええのにチーを見るとついティーにしてまうんよな。ほんでカプティーノ!て頼んだら紅茶がでてきよった。カップオブティーとでも聞かれたんやろなあ。ついでにいうとくと、ホットティーも通じにくいで発音に自信のない人は単にティーにしといた方がええと思う。ティーはデフォルトで熱いもんやでいちいちホットつけんでええん。

apparently アピアレントリー 
私の経験やと母音が決定的に違うとネイティブが文脈から判断してくれる割合が劇的に下がるように思います。

自慢やないけどまだまだあるんですが、このぐらいにしときますわ。発音ちゃうけどたとえばif and only if をif and if onlyとやってたりちゅうのもようけありますがその辺はまだ分析してないのでもうちょっとネタ箱にしもうときます。ほんで教訓としては「発音は誰も直してくれへんで」ちゅうことです。自分でなんとか気つけるしかない。特に年いってきたらよけな。発音に限らへんけど、自分かて誰かがなんか間違いしてやあたかてたいがい流すもな。ほんまは指摘した方が親切なんやけど。ほんでネットとかで色々指摘したりしてもらえるのは有難いことではありますわな。ほなおしまいやす。

楽しけりゃいいんだよって楽しくねーよ!

血液型占いに科学的根拠がないのは知ってるんだけどね、コミュニケーションに絶対必要だから仕方ないよねみたいな記事を批判しようと思っているのですが、言及先はその前の記事

例えば、国によっては国民の血液型が1種類しかなく、そもそも血液型が性格判断の材料として機能しないケースもあります。

なんてことを書かれています。そのデータは一体どこから、というか批判する気力が萎えていくのですががんばろう。

前の記事との二段構えで、差別性はなーんにも認識してないよ、科学的根拠なくたって楽しけりゃいいじゃん、というお気楽な血液型論が展開されるのだが、このカジュアルな血液型差別はまた別のステレオタイプをも内包している。

男性のみなさん、以下のような会話をしたことはありませんか?
(中略)
「あのさ、血液型性格診断ってウソらしいよ。科学的に無根拠なんだって」
「え?そうなの?」
「それにオレ、『何型に見える』とかそういうの興味ないんだよね」
「そっか…」

会話が終わってしまいました。

理系院卒・Aさん(30才)の場合
(中略)
相手の血液型を当てるのが一番ですが、その可能性は1/4。その確率を高めるために血液型を聞かれたらこう答えるようにしています。

「O型っぽいA型かな!」(AB型っぽいB型かな!)

仮に「O型っぽいA型かな!」と答えて相手女性がA型だった場合、「すごいね!正解!」となりますし、O型だった場合、すかさず自分から「やっぱり!O型に見えたんだよね」と続ければさも「当たった」ようになります。

東大卒・某省庁勤務Bさん(28才)の場合
(中略)
「へぇ、元カノが全員B型だったんだよね」

こう答えるんです。すると、さも自分が相手に好意を抱いているような印象を与えるんです。この回答、相手に対して悪い印象は与えません。

血液型の話題が大好きなのは女子。科学的な根拠がないことを知らず、根拠がないと言われて「え、そうなの?」とかいうのは女の子。根拠がないを指摘するのは男子。「やっぱり!」と「意外!」という2択の反応しちゃうのが女子。「O型っぽいA型かな!」と言われて「すごいね!正解!」と予測通りの反応をしてくるアホな女子に話を合わせてあ、げ、るのがクールな理系男子。ここでアホといってるのは、血液型性格診断を信じているアホという意味ではなく、下心みえみえのくだらない話の振り方してくる相手にそれでも「すごいね!正解!」とか ヨイショしちゃうようなアホという意味です。
理系院卒・Aさん(30才)、東大卒・某省庁勤務Bさん(28才)には勿論ここで何か賢いことを言って血液型まみれの女の子達を気分よく盛り上げる役が振られている訳ですが、悪いことはいわないが「へぇ、元カノが全員B型だったんだよね」って「はああ?何このオッサン!?君の元カノの話なんか聞いてへんし!」と思われるのがオチやろう。「さも自分が相手に好意を抱いているような印象」を与える前に「この人なんか勘違いしてない?」と警戒される心配した方がええのと違うか。そもそもずっとつきあう気など最初からない相手に自分が好意を抱いているような印象与えてどうする。

ともかく、役割分担は決まっているのですよ。血液型性格診断を信じ込んじゃってる女性と話をあわせてあげる男性。逆はない。もとよりヘテロじゃないケースは眼中にない。酒の席で「君何型だっけ?B型?奇遇だね、僕もだよ」とか言ってくる上司をどうあしらうかなんて話はネタにならないし血液型話を振ってくる彼氏対策という記事にもお目にかかったことがない。5年ほど前にも全く同じことを書いたような気もするけどもう一度言っておこう、血液型話もうんざりだけど血液型で熱くなってる女の子とそれをうまくあしらうクールな男の子のお話はいい加減にしろ。まともに話の通じない相手とみて適当に合わせておくことが神回答とか笑わすな。コミュニケーションのゲームどころか端からコミュニケーション拒否しとるがな。

それ以外の突っ込みどころについては簡単に。

血液型性格診断が正しいかどうかは別にして、私たちは血液型性格診断とは無縁な生活を送れない社会にいるのです。

この記事で「正しい」と言っているのは科学的根拠があるかどうかだけで、科学的根拠があろうがなかろうが血液型差別はいかんという視点が皆無では話にならない。そして確かに差別と無縁な生活は送れないが、送れないからといって嬉々として加担してよいことにはならない。

特に、血液型診断で「性格にクセがある」と言われがちなB型の女性は言われると喜びやすいですね。「この人はB型の私に対してもネガティブなイメージを持たないんだな」って勝手に脳内で解釈してくれますから。

「B型がこう言われている」ということを前提として容認している自分は問題ないのか。自分以外の多数派はB型を差別するはずというのもその裏返し。「言われると喜びやすい」と抑圧を取り除く努力はしないまま抑圧されてそうな人に僕は別だよと秋波を送る。しかもわざわざ嘘をつく。抑圧されている人は自分だけが特別扱いされたいんじゃない。抑圧そのものをなくせよ。せめてなくす努力をしろよ。まあ「日本人は血液型診断が大好き」とか言ってる時点で何をかいわんやではあるのだが。

少しだけ「ズルさ」も含まれるのかもしれませんが、相手を不快にさせるよりは誠実な態度と2人は語ってくれました。

どこを取ってもひとかけらの誠実な態度もないのですが、結論としては興味のない話題は適当にわかった振りしてスルーしておけということでしょうか。案外ウザい上司対策にも役に立つ代物だったのか。

ネタやがな、は許さない。自分はメタに立って差別してるのは俺じゃないよと予防線を張った上で差別を助長する。最低やな、と評価しておきたい。

地域とことば:福島の方言は東北方言か?に便乗(読書案内付き)に便乗

dlitさんのエントリに関係ない方向で便乗して1冊だけ本の紹介を。

ええほん 滋賀の方言手控え帖 (淡海文庫)

ええほん 滋賀の方言手控え帖 (淡海文庫)

ほんまゆうたらまいどまいど自分の方言でブログ書いたりしたいんやけんど、なかなかさあちゅうてもでてこんもんやし、ふだんはまあ、関西弁ちゅうんか、関西の言葉をつかうてゆうても大阪あたりの人らがつこてやあるのをまねしてるんやけどな、ほんでも私の育ったとこはけっこう滋賀県の中でも言葉が珍しいちゅうて専門家でもときどき研究してやある人もやあるんやけど、どうしてもな、ほこの人でない人が書かあた文ちゅうのは、ネイティブが見たらこらちゃうでと思うことが多いわけでな、ほんでまあほういうプロの研究を見てもちょっとこれちゃうやろと思うことがちょいちょいあるんやわ。

ほやけどこの本は、プロの研究ちゃうけどほのネイティブチェックちゅうのがものすごいきとどいたるん。著者はネイティブちゃうんやけど、いやもと彦根の人やさかい滋賀県人としてはネイティブやけど彦根では使わあれん湖北の言葉をようけ収録しとかあて、ほの点に関してはネイティブちゃうんやけど、ほんでも明らかにネイティブが確認しとかあるていうのがようわかってな、研究書でもないのにこれはえらいもんやと思いますわ。ほんでこれたまたまなんやけど、アマゾンでみたってもろたらわかるけどこの表紙のイラストな、これ描いてやんすの私の友達やわ。友達ちゅうてももう30年もおうてへんけど中学高校も一緒やったし昔はようしゃべったしほんでほの頃からこの子、て今はおっさんになってやんす訳やけど、この人は絵がうまかってな、イラストみたいなもんも描いてやんたのに今のこのイラストに当時の面影があるんよ。懐かしいわあ、今どうしてやんすやろ。

ほらこの本は学術書ちゃうで。ほんであんま学問的なことは気にせん方がええかもしらんちゅうかほの辺は専門家がせなあかんとこやけどな、これは楽しい用例集やと思たらほらええほんや。ええほんちゅうのは掛け言葉やな。よい本ちゅう意味と「ええで」ちゅう意味とな、「この本ええほん、読んでみ」ちゅうて勧められるわけや。どこがええかええとこをあげとくと、1つは調査票持って調査いったんとちごてほんまの日常生活の中から語彙をひろたるさかい、研究者が来てはい録音させてくださいいうたらどうしても落ちてまうようなふだんのきどらん言葉がひろわれたるわな。これはどうしょうよもない、誰かて偉いせんせが録音機もってきたら緊張してもてふだんつかわんような言葉遣いしてまうやん。たとえば「おん」ていうの、「はい」の意味で載ったるんやけど、こんなん先生に対してとか絶対つかわへん言葉やけどふだんやったらものすごよう使うんやけど今までの研究書には載ったらせん、ようこんなんひろて載せてくれやあたとほんま、母語話者としてありがたい思いますわ。これが一つやろ、ほって2つ目はネタとしても秀逸やわな。舞姫の湖北言葉訳とかな、こんなん森鴎外聞いたら怒りよるで。

我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯(たくわえ)だになし。

おまん、うち助けてえな。うち恥知らずになってまうんや。おかちゃんはあいつの言うとおりにせなんだらあかんちゅうて、うちをしばかはるんや。お父ちゃんが死なったさかい、明日葬式せなあかんのに、家には一銭もあらへん。もう、ほっこりやわ。」(p.136)

どやろ、方言がわからん人が読んでもおもしろないかなあ。私やったらしらん方言でもどこでもよその言葉聞いたり読んだりするの好きでどもならんのやけど。ちゅうわけでこの本ええほん、よんでみ。

帰ってきた陰謀論者と怠惰な日常の始まりに決意す

正月一日、東京湾の下に巨大地震のタネを仕込もうとしている人達がいる。というどこかの(ある意味)有名なブログの主張(の使い回し)を携えて陰謀論者の友人は颯爽と戻ってきました。そんなの仕込んだら自分も家族も死ぬんでないの?もはやカルトの域に達しているといわざるを得ない。しかし大人になってまで○○ちゃんと遊ぶのか遊ばないのかそんなことを考える2015年の幕開け、新年明けましておめでとうございます。

年末年始は人並みに連休で、絶対読むべき本が7冊ぐらいあって、老親以外は誰とも会わずどこへも行かずひたすら勉強する、予定だったのですが終わってみたら読めた本は1冊。たった1冊。今目標に向かう大きい試験の前でとっくの昔にリーチかかってるのに何それ。こいつやっぱしアホやなといわざるを得ない。前提が間違ってるよね。私がそんなにちゃんとやる訳ないというところから始めるべきだった。

しかし私は今までの人生で3人ぐらい、ちゃっちゃとやるべきことをやっていく人に出会っており、そのうち一人は今の上司である。この上司は朝起きたら顔を洗うように、メールが来たら返事をする。ごみの日にはごみを出すように、目の前に仕事があったら片付ける。ご縁があってこういう人の下で働いたので、もうすぐ辞めるんだけど、遅ればせながら見習って今年はやるべきことを片付けていく人生にしたい。と早くも冬休みの教訓をなかったことにする。しかし日常に戻る気分は悪くない。

今、半世紀近く生きてきてようやく本の読み方がわかってきた。アホな自分にも絶望せず、成果を焦らず、しかし今年は必ず外に評価を問えるものを作ろう。アホはアホなりに一つ一つクリアしていくのが楽しい、と昔友人が言っていました。その人は全くアホじゃないのですが、それしかないんだよね。今目の前にある本を読み、今目の前にある問題を、朝起きたら顔を洗うように、ごみの日にはごみを出すように、一つ一つ片付けることによって、2015年は飛躍の年にしたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年読んでよかった本

よいお年を、はもうやったのですがTAKESANさんのエントリに触発されて最後にもう一つ。言語学関係の、しかし一般向けに書かれた本がほとんどです。これを書くのは少し迷った。というのは、下記に取り上げたのはほとんどFBで絶賛してきたので、リアル知り合いがこれを読むとばれてしまうからなのだが、まあもういいよね、ばれても。ばらことかrosechild名で書いてきたのは何が恥ずかしいって言語学のことをほとんどわかってない癖に偉そうなことを書き散らしているのが非常に恥ずかしいのだけど、そんなこと言ってたらこれから何も発言できなくなる。恥多き人生に一つ二つ恥ずかしいことが増えたところでどうだというのだろう。大体そもそもリアルの方がもっと恥ずかしい人生なのに何を今更、と言い訳はこのぐらいにして。

日常言語に潜む音法則の世界 (開拓社言語・文化選書)

日常言語に潜む音法則の世界 (開拓社言語・文化選書)

音韻論 (朝倉日英対照言語学シリーズ)

音韻論 (朝倉日英対照言語学シリーズ)

今はこういう良書がよりどりみどりで有難い限りです。しかしこれは2冊とも、最低限の言語学の概論を既に勉強した人の2歩目3歩目向き。「日常言語に潜む〜」については、日本語の音に関していろいろ面白いネタがあるということは繰り返しどこでも言われていることだけれど、それを鮮やかにすっきりまとめる手法に痺れる。時々挟まれる比喩も妙に面白い。「音韻論」は図書館で見かけて何気なく手に取ったところあまりのわかりやすさに感動して借りるのやめて即買いました。ところで、以前ブクマでid:dlitさんはなんで「ドリット」さんになりid:ublftboさんが「ウブルフトボ」さんになるのはなぜ、という話をしていたのですが、この2冊にほぼ答えは書いてあります。私の疑問は外国語からの借用語と違って、dlitとかublftboなんて単語はもともとどこにもないから、そもそも入力がないところへ、まず日本語で勝手読みをする必要がありその勝手読みはどこから出てくるのだというようなものだったのですが、最適性理論だったら別にドリトでもドラトでもダリツでもなんでも入れときゃ最適なのが出てくるのかな。で、dlitさんとブクマで会話してublftboさんのtとbの間にdlitさんはuを入れる、つまり「ウブルフツボ」になるという話をされていたのですが、tのあとにuを入れると日本語では[tsu]になってしまい音価が変わってしまうのでこれを避けるためにtの後はoが一般的であるらしい。すなわちdlitさんの挿入は有標であるというかマイノリティである。と田中先生が言ってました。ような気がする。ともあれ、この2冊には大変お世話になりました。

構造から見る日本語文法 (開拓社言語・文化選書)

構造から見る日本語文法 (開拓社言語・文化選書)

必ずしもチョムスキーを信奉する必要はないけれど、少なくとも言語を考えるのに構造から目をそらすことはできないよね、ということを再認識させられた。今までこういう微妙に苦手意識を持っている対象から逃げていたのが人生の間違いであったと気づいた2014年でありました。初心者にもわかりやすく書かれています。

旅するニホンゴ――異言語との出会いが変えたもの (そうだったんだ!日本語)

旅するニホンゴ――異言語との出会いが変えたもの (そうだったんだ!日本語)

このシリーズは全部読みたいけどまだほとんど読めていない。私はピジンクレオール言語とそして自分の方言とに強い関心を持っていたのだけれど、接触言語という観点からその2つが自分の中ではっきりと一つのテーマとしてつながりました。読みやすくて新しい視点を与えてくれる本。

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

「ヴァーチャル〜」を今まで読んでいなかったというのは不勉強の謗りを免れない。しかし不勉強というのは人生を損しているのだな、とつくづく思う。「コレモ日本語〜」も衝撃的だった。周りの景色が変わって見えた。

これだけ専門書。実はまだ全部は読んでないのだけれど、この正月休みをかけて精読します。今後の人生の道標ともなるはずの本です。

それでは改めまして、今年もお世話になりました。皆様よいお年をお迎えください。