バラエティに富むから陳腐になる?日本語のせいじゃないだろう

日本語はどうして「暴言」に甘いのかという冷泉彰彦氏の記事について、批判的な意見はブクマでほぼ出揃っているのだが、100字では書ききれないところも多々あるのでもう少し具体的にしつこく突っ込んでおきたい。ブクマコメント等で既に他の方から指摘が出ているものと重なっているものもありますがご了承ください。

国連の委員会で、日本の人権人道担当大使が英語で「ご静粛に」と言うつもりが表現力の不足のためか、公の席では普通は使わないような汚い表現をしたというニュースがありました。

という事件について、筆者は『日本というのは暴言に甘い社会だと思います』『理由については、私は日本語の特質に原因があると考えます。』という見解を述べている。以下に私が問題だと思う点を挙げる。

1)それは本当に日本語の特質か?

日本語というのは、表現が多種多様のバラエティに富んでいます。そのために、同じことを言うのに「新しい言い方や強い言い方」をしないとすぐに「陳腐化」してしまうのです。これが1つ目の問題です。表現の強度を変えずに同じような表現を繰り返していると、本当に陳腐化して行きますし、時には滑稽になることすらあるわけです。

どんな言語でも普通表現は多種多様のバラエティに富んでいる。日常的に使う語彙の数などにはばらつきがあるかもしれないが、語彙が少なければそれを組み合わせたりイントネーションなどの音声表現に変化をもたせたりして表現するわけで、表現がバラエティに富んでいない言語というのは(ごく初期のピジン言語などを除けば)聞いたことがない。そして、仮に表現が多種多様でない言語があったとしても、そちらが例外ではないのか。これを日本語の特質とはどういう根拠があっていうのか。

2)バラエティに富んでいる、『そのために』陳腐化する、は意味不明

そのために、同じことを言うのに「新しい言い方や強い言い方」をしないとすぐに「陳腐化」してしまうのです。これが1つ目の問題です。

日本語が多種多様のバラエティに富んでいる一方であまりバラエティに富んでいない言語があるとして、その言語では同じことを繰り返し言っても陳腐化しないのか?同じ言い方の繰り返しを嫌うのはむしろ英語に顕著だと思うが、どんな言語であろうと同じことを同じ言い方で繰り返していたら『すぐに陳腐化』するだろう。日本語の問題ではない。

3)因果関係不明。それも本当に日本語の特質か?

 もう1つは、これも同じような日本語の表現バラエティが「ありすぎる」ための問題ですが、とにかく「真っ当な表現」では「ありきたり」になってしまうという問題があります。そこで、日本語の場合に、起きていることのニュアンスを正確に伝えるためには「あの手この手」で新しい表現を創造することになるのです。その場合ですが、昨今は「無難な」表現よりも「露悪的な」表現が許されるし、また好まれるようになっています。

だから、それのどこが『表現バラエティが「ありすぎる」』ことから導けるのか。表現バラエティがありすぎるのであれば、むしろ「真っ当な表現」で「ありきたり」にならない表現がいっぱいあるのではないのか。『昨今は「無難な」表現よりも「露悪的な」表現が許されるし、また好まれる』のが仮に事実であったとしても(事実かどうか検証されているとは思えないが)話者がどんな表現を許すとか好むとかは言語自体が関知するところではないだろう。

4)ほかの言語に同様の問題はないのか?(言い方を変えてみた)

 いずれにしても、日本語には言語自体に表現のインフレ化や、新奇な語彙を好む傾向を抱えています。その背後には「非常に繊細なニュアンスの共有」がある一方で、攻撃的あるいは露悪的な語彙による形容を「向けられた」人は、密かに深く傷つくということが起きているように思います。

 ですが、卑罵語の使用に対して、校則で取り締まったり刑事罰を加えるのは困難です。というのは、日本語の場合、同じ語彙でもコンテキストによってニュアンスが全く変わるので、表面的な「言葉狩り」をやっても、実質的に「人を傷つける暴言」は止められないからです。

以上に触れなかった点も含め問題点を再度列挙する。それは本当に文化の問題か。個人の責に帰するべき問題を文化のせいにして個人を免責していないか。仮に文化の問題だとして、それは言語の問題か。「日本語の特質」とされるものには根拠があるか。どの言語にもいえるあるいは珍しくないことを日本語だけに特有のように決め付けていないか。相関関係すら明らかでないものに因果関係を見出していないか。接続詞がおかしくないか。使う人の好みだとか社会の傾向といった言語の性質に帰すことのできないものまで言語のせいにしていないか。また社会的な傾向などについても根拠のない印象論で決め付けていないか。

このような点から私はこの論評は承認できないということを記録しておきたい。