バスケのCMにいらっとする訳(アスリート編)

これね。いろいろ言いたいことはあるのだけど、とりあえずアスリート編を書いてみた。以下、動画に沿って書きます。

「誰よりも練習した」

その他者への想像力のなさは何?みんな練習してるんだよ。誰よりも?チームメイトを信頼してないな。他人の行動24時間見張ってたのかよ。仮に、仮にだよ、本当に誰よりも練習してるんだとしたら、試合に出られない のが天性のものと運とか(例えば同じポジションに超絶うまいやつがいたとかね)だけのせいだとしたら、そりゃ気の毒だけどよくあることだ。アスリートのプライドにかけて練習したとかいうな。スポーツやってたら練習するの当たり前だ。他人と比べることじゃないから。

−シューティング練習−

ゴール下のノーマークシュートを落として「誰よりも練習した」とかふざけるな。これさ、ほんとにバスケやってた子じゃないよね。コマーシャルだからしかも下手な子の設定だから下手くそでもいいんだけど、あまりにリアリティなさすぎ。少なくともバスケ部の高校レベルならどんなへたっぴでもジャンプシュートは飛んでから一瞬静止して見えるはずだし、リバウンドも不自然。 始めて1か月とかならわかるけど、「誰よりも練習した」設定なんだから練習シーンの ゴール下ぐらいシュート入れろ。でないと試合に出せとか言えるレベルじゃないから。

「努力は必ず報われる、と思ってた。」

バスケは5人プラスアルファしか出られない。部員が多ければ出られない人もベンチに入れない人も必ず出てくる。試合に出ることが報われることだとすれば、そういう人は皆努力してないとでもいうのか。自分が一番練習してるという能天気な設定だからそういうことがいえる。周りには自分には及びもつかない才能でしかも努力を怠らない人々がふつういっぱいいるんだよ。いないとしたら見えてないのか天才なのか。天才じゃないよね。だったら見えてないだけ。

努力は誰でも認めてほしい。でも君は努力そのものを不断に見直してきたのか?やっても無駄なことして「努力してる」って自己満足してなかったか?報われないなら方法論にも必ず問題がある。やみくもにやるだけじゃなくて、休んだりリラックスしたりやり方を工夫したり体調やら精神面にも気を配って常に貪欲に方法論を磨いてきたのか?自分のやり方に固執したり手を抜いたり何も考えてなかったりしてないか。方法論も完璧で非の打ちどころがなかったのならば−仕方ない。それが人生だ。報われないものだと知れ、知らなかったなら今知れ。

−女の子を意識する。またシュートが入らない。−

やっぱりあまりに下手すぎる。バスケやめて女の子と遊んでいたほうがよかったんでは。

「練習しかなかった」

視野狭窄。威張っていうことじゃない。それが悪いとは言わないが、進んでやってきたなら結果も引き受けろ。こんだけ練習したのにダメダメな自分は自分がやってきたことの結果だと知れ。

−ベンチ−

タオルはもっと早く渡してやれって。「自分が出たい」は全てのベンチウォーマーの素直な心の叫びではあるけど、心の中が「俺を出しやがれ」だとしてもベンチを盛り上げるのが意地というものだろう。 何つまらなそうに冷めてるんだよ。ベンチの盛り上げ役、声だし係、タオル係やることやって悔しがれよ。外からみてつまらなそうなベンチは負けだよ。ま、これは君の責任じゃなくて監督とかチームがバカなのかもしらんけどね。

「でもその挫折が(r」

その挫折は結構いつまでも引きずります。その挫折から何かを学べるとしたら誰よりも練習したとか自分に酔ってないで、他者の目で自分を見られるようになってから。試合に出せる訳ないじゃんこんなやつということが、きっちり認められるようになって初めて、自分の報われなかった努力も評価できる、かもしれない。あるいは「とっととやめるのが正解だった。」と骨身にしみて知るのかもしれない。あるいは私のようにMだったなあと納得できる日が来るかもしれない。もしくはあの日出してくれなかった監督を棺桶の蓋が閉まるまで恨み続けるのかも知れない。いずれにしても、挫折の過程は人さまざま。乗り越えられる時もあれば忘れるまでじっと待つしかない時もある。ほっといたら自然に強くなるようなもんじゃないと思うけどね。

−パスをもらえない−

だから下手すぎると何度言えば。そんなボサっと待っててパスが来るわけねーだろ。ミートしろばか。

「吉田のシュートはいつか決まる日がくる」

17歳で決まらなかったシュートは一生決まりません。