出遅れたけど書評「ロスト・ケア」

期待値が高すぎるのだ。元の罪山罰太郎さんだから。絶対面白いはず、読みやすいはず、笑えて泣けて考えさせられて、盛りだくさんに楽しませてくれるはず。「新人」なんて呼称はこの人にふさわしくないよね。最初から凄いのがくるはずだよ。と、勝手に極限まで期待値を上げていたために、大絶賛するという結果には、申し訳ないけどならなかった。葉真中顕「ロスト・ケア」読了。書評を書くのを楽しみにしていたのだが、その中身は私自身の予定とはかなり違ってしまった。
ロスト・ケア

ミステリとしては、謎解きの部分については文句なしに面白い。(以下、本書の要所については言及を避けるけれども、たとえば私のように『本は原則として、ミステリに関しては一層、一切の先入観なしに読みたい』方はこの先を読まないでください。基本的な設定を除いてネタばれはありませんが、筋立てや仕掛けについてほのめかすだけでぴんときてしまう人には興味を削いでしまう可能性があります。)設定にもなるべく言及したくないのだが、やはりある程度は踏み込まないと書評は書けないので、最低限の内容には触れながら書いていく。

舞台は介護の現場で、冒頭で犯人には大量殺人で死刑判決が下りる。遺族の中にはしかし「救われた」という思いを抱くものもいる。「もう死んだほうがまし、殺したほうがまし」というような状況がいつ終わるともわからず続く時、介護する側とされる側の双方にとって救いとなるような死というものがある。明らかに死が切望されている時にもそれをもたらすのは「罪」なのか。冒頭から答えの出ない問いが突きつけられる。

導入部、介護を巡る現場の混迷は恐ろしいまでにリアルである。もっとも弱いところにしわ寄せがいくという構造は、現代社会を見れば介護に限らず医療、教育などにも通じる。現場の努力だけではどうにもならないということさえ、自分が当事者にならないと気づかない。そしていざ当事者になってみると、そこには明らかに恵まれた立場の者と既に十分苦しんでいるのにもっと苦しみを強いられる者がいる。こんな社会が来ることはずっと前から予測できたはずなのに、急ごしらえで半ば見切り発車した介護保険は穴だらけで運用されている。どこに怒りをもって行けばよいのか。

このあたりは虚実ない交ぜフィクションの中の「実」の部分で、問題提起は切実である。ただし、フィクションの中の現実として見た時に役人の陰謀のように書かれているところには賛同できない。不十分なシステムは確かにそれを作った役人に多大な責任はあるのだが、改善していくために一番必要な物は金で、これを改善するためになら税金でもなんでも出すという市民のコンセンサスがない限り、ない予算でよりよい仕組みを作れというのはそもそも無理なのである。今の仕組みが弱者からますます搾取しているとしたら、それを許容している一般人が政治家を選び予算査定に影響を与えているのである。と、私が一席ぶっている場合ではなかった。小説に戻ろう。

主要な登場人物は皆なんらかの形で介護や老人に関わっている。介護事業に携わる者、ヘルパー、父を介護施設に預けた者、自宅介護に疲れた者、老人を食い物にする詐欺師エトセトラ。中で今は中年となった検事と介護事業者は高校時代のクラスメイトでありかつてのチームメイトであった。かつて共にボールを追いかけた二人が記憶している光景はしかし同じ場面でも全く違った様相を帯びている。全ての出来事に光と影があるように二人の人生観は対照的である。どちらの人生観に与するのかも簡単に答えの出る問いではない。ちょっとした躓きから闇の世界にはまっていく中年男の描写はさすがの臨場感でこの辺りは濃厚なエンタテインメントを楽しめる。何しろ扱っている問題が介護だから大笑いして楽しむということにはならない、はっきりいって暗い話だが、ストーリーテリングのうまさはやはり期待を裏切らない。エンタテインメントに徹すればもっといくらでも笑わせられるのだろうけれども、本書で著者はその道は取らず、現実の社会を引き写すことによって正面から問題を提起している。ちょっと松本清張を思わせる。

思わせる、といえば(以下再警告。わかる人にはネタを察せられるかもしれない点あり)読者に対するトリックという点で、十数年前にやはりミステリ関係で賞を取った○○○○を思い出すところがあった。これはタイトルを書いただけで読んだことがある人にはネタばれになってしまうので書けない。一般的な話をすれば、クリスティの「アクロイド」あたりを想起するような(勿論あれとは全然違いますが)読者に対する目くらましが仕掛けられている。忍者屋敷的な面白さで、なんかこの辺にあるぞと思ったらやっぱりなんかある。これも解明されるところはぴたっと決まっていて、確かにミステリとしては面白い。ただこの人だからそれでは私が満足できないのである。

この面白いところを面白くするための状況設定に無理がありすぎる。登場人物の一人が、もっと言えば犯人があまりにリアリティーに欠けるのではないか。それから大量殺人が露見する過程は抜群に面白いのだが、状況証拠だけで締め上げちゃっていいのか、というのは虚構なんだからいいんだけど気になってしまう。犯人がわかってからの登場人物のモノローグはそのまますぎて訴えるところが弱い。行間を読ませる形で十分に通じているのに駄目押しをしすぎてくどくなっている。一方で、はっきりと主張されている訳ではないがたとえば「死刑は大義名分をつけた殺人だ」というメッセージは私は明瞭に受け取った。作者が死刑廃止論者なのかどうかは知らないが、大量殺人と死刑とには人殺しという本質において差はない。それはただの犯人の主張ではなくてやはり日本社会が突きつけられている問題の一つである。直接これを考えろと迫られるのではなくて、読んでいる中でさまざまな問題を自分で掘り出した方が充実感がある。最後の方はいささか説明しすぎの、登場人物の心境が文字通りに書かれすぎの感があるように思われた。

未読の読者の楽しみを奪ってはいけないからこのぐらいにしよう。確かに面白い、でも課題もいっぱいのデビュー作である。次回以降に更に期待したい。