遠くからの声

追記わああああ、ごめんなさい。光文社カッパノベルスの本読んで同タイトルの文庫にリンクしたら、短編集の内容が違ってるみたいなのでリンクを削除しました。


松本清張が自分のいびきに困っていたことを、今回この短編集のあとがきを読んで初めて知った。短編時代小説「いびき」はいびきに悩む人にとっては全く他人事でない、笑いながら背筋が寒くなる傑作。いびきごときで命に関わることも実は本当にあったんじゃないかさえ思われる。私はいびきには悩んでいないが、自分の歯軋りがうるさくて夜中にしばしば目覚めるので全くもって他人事ではない。運悪く相部屋になった人を不眠にさせたり部屋から逃げられた実績もあり、もっと困るのは男性と泊まるときなのだが、残念ながら杞憂に終わるケースが多い、じゃなくて、まあ相手もうるさい人だと早く寝たもん勝ちである。

ともあれ、地味な先入観とは裏腹に実に歯切れよく明るく切なく面白い短編には短編なのに人生の長さを見る思いがする。「左の腕」もいわくありげな爺さんに興味をそそられ一気に読んだ。素直で働き者の娘やら他の脇役陣もリアルに人間くさく珠玉の掌編というのはこういうのかと思う。

上記の時代小説二編がこの短編集の中ではお気に入りなのだが、他の現代小説も今となってはだんだん時代小説となりつつある。女性の名前が民子とか啓子、たき子、さと子、須美子というのはもう、私らが子どもの時例えば「二十四の瞳」を読んでマツエとかコトエという登場人物の名前だけで「ああばあちゃんの時代の話なんだな」と感じたのに近い状況ではないか。現代であってもたとえばいくつかの短編の舞台になっている戦後すぐの話なんかはまさに自分にとっては時代小説な訳で、殺人事件一つを見ても当然ながらその動機には必ず時代背景がある。松本清張に限らず、70年代ごろまでは「妻が処女じゃなかったから殺した」なんて動機の小説もけっこうあったと思う。携帯が存在しない時代の小説ももう若い人にはリアリティがなかったりするのだろうか。