好きなことを好きなだけ好きなように書く

変な時間に起きてしまったので(スランプ?)専門家として何をどこまでどんな調子で書くかにお返事

「専門家が素人向けに専門のことを書くのはマウンティング(なのでそもそもそも良くない)」というタイプの意見を複数回目にしてちょっと気になっている

その意見を読んでいないことをお断りした上で、一般論として好意的に解釈すると権威主義とかパターナリズムに陥りやすい、知識が抑圧として働くことに無自覚な専門家や、つい偉そうぶりたいお調子者を戒めた言説かと思います。しかし

「専門家が素人向けに専門のことを書くのはマウンティング(なのでそもそもそも良くない)」

いや、そんな訳ないやろ。専門家が素人向けに書くことがなかったら、一体素人はどうやって専門家になるんです?生まれた時から専門家なのか?最初から専門書読むやつはおらんやろ。誰かてどこかで素人向けの、わかりやすい言説に接してちょっとずつ専門的な知識を身に着けてきたんとちゃうんか。

我々は生身の人間であって、偉そうぶりたい、逆に偉そうにされたらむかつく、自分が正しいと思いたい、都合の悪いことは知りたくない、マウンティングしたいがされるのは嫌、専門家がなんぼのもんじゃ、素人が何をぬかす、何もしらんけどちょっとわかった風なことを言いたい、わしの方があいつよりかは絶対凄い、どんなにまともなことを言おうがあいつの言うことだけは聞きたくない、等々の煩悩の中で生きているのであって、どんなに理性的な人であっても感情に動かされるのは人間である以上避けられない。リアルの人生で完璧に感情をコントロールしている人を見たことがない。

そういう前提で、マウンティング上等やろ、と思う。マウンティングを恐れて専門家が口を閉ざしたら人類が積み重ねてきた英知は象牙の塔の中に閉じこもるしかない。そうではないやろ、専門家も人間なのだから言い方伝え方受け取り方には物凄く難があるかもしれないけれど(実際そういう先生はたくさんいるけど)「真理は万人によって求められることを自ら欲し」by岩波茂雄、ですよ。その一助ともなりたいと願わない専門家がいるだろうか、いやうようよいる、ではなくていない、と私は信じている。結果としてマウンティングととられようがそれが何なのか。専門家であればその知識をちょっとでも広く共有したいと願うのはあたりまえではないか。それでもって生身の人間だけどそこはなるべくコントロールしてぼちぼちやっていくしかないのではないか。本題に入る前に興奮してしまった。

やはり「どう書くのか」「どのように書くのか」「どれぐらいの強さで書くのか」というのは悩ましいです。

ある程度は見切り発車も必要、なんてことは百も承知でその兼ね合いをどの辺にするかという話だろうから人それぞれです、とかなんの答えにもならないことを言っても仕方ないのですが、人それぞれです。dlitさんは十分に慎重で権威主義に無自覚な象牙の塔の住人には見えない。読者を信頼して、思い切ったところを発信していただきたいです。専門であると非専門であるとを問わず、発信する限りは受け手を信頼する以外の選択肢はないと思う。勿論受け手も人間である以上はアホなので、我々はどうしようもない世界に生きているわけだけれど、アホなのは変えられない前提だから。所与の世界でやっていくしかないから。

自分の専門分野について書くときに何か気にしていること、心がけていることはありますか?

ありません。これからは少し心掛けようと思う。今までは素人として発信してきたけれど専門家を志すものとしてまだそこまでいってなくても矜持をもつように。専門関係なしに議論一般としては、批判的なことを言われたときはなるべく紹介したり出来る限り答えたりするようにしているけれど、これは徹底してはいなくて適当にやっている。なので議論が腰砕けになることもしばしばあるけど、まあいいや、できる範囲で。

「非専門家なんだが専門家が書いたもののこんなところが気になる/気に入らない」というような話でもよいかもしれません。

関係ないけど、前から言っているのだが大学の先生や院生とかの事務職に対する蔑視、軽視がはらたつ。本当になんの関係もありません、すみません。

こんなとこでしょうか。